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【週刊ノリスケ】 ご苦労さま、金沢行きの夜行列車
JRグループでは、3月13日に恒例の春のダイヤ改正を行います。近年、ダイヤ改正のたびに使命を終えた夜行列車の廃止が行われることが多く、この春には上野~金沢間の寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」の廃止が発表されました。 写真の「北陸」は、1975年に同名の夜行急行を特急に格上げして誕生したブルートレインです。同時に誕生した上野~盛岡間の寝台特急「北星」と共に、ブルートレインの中では走行距離が短い列車としてレールファンの間で有名でした。東北新幹線の開業で「北星」が廃止となる一方、「北陸」は根強いビジネス需要があり、バブル景気時代の最盛期には12両編成中6両が個室寝台という高いサービスレベルを誇りました。 個室が多いと言っても「北斗星」などの豪華さが売り物の列車とは違い、全てが一人用個室です。1両がA寝台一人用個室の「シングルデラックス」、残る5両がB寝台一人用個室の「ソロ」で、食堂車やロビーカーはありませんがシャワー室は設置されています。言わばビジネスホテルのように実用本位のサービスを提供していることが特徴の列車です。平成時代の夜行列車で、ビジネス利用を一番意識していたのかもしれません。筆者が東京の会社に勤めていた1980年代末、北陸方面への出張で何度か利用した事があり、ソロが満室で取れなかったこともありました。 飛行機の増便や北越急行の開業など、昼行で北陸と関東地方を行き来する手段が拡充した結果、利用が減り、12両編成が8両編成と減車され、ソロも3両となりました。しかし、編成の半分が個室という高いサービス水準は最後までは変わりませんでした。 「北陸」という列車名は、上野と大阪を北陸回りで結ぶ急行列車の愛称として、1950年に登場した長い歴史を誇ります。これは数多いJRの列車名でも早い時期の命名でした。このような由緒ある列車名が、3月で消えるのは寂しいものです。 一方、「能登」はJR西日本所属の489系特急用電車を使用する全車座席車の急行です。国鉄電車特急のシンボルだったボンネット形の先頭車を使う最後の定期列車として、レールファンの注目を集めており、7月19日の本ブログでも取り上げたことがあります。 3月のダイヤ改正以降は、両列車に代わって多客期や週末の時期を中心に全車座席指定の臨時急行が運転されます。この列車が「能登」の名前を引き継ぐ予定です。ただし、使用される車両は489系に代って、JR東日本新潟車両センターに所属する485系特急用電車の6両編成になるため、ボンネット形先頭車の「能登」は3月13日朝で見納めになりそうです。廃止までの一月余り、昨今の鉄道ブームから両列車とも人気を集めそうですね。 さて、長い間ご愛読いただきました週刊ノリスケは、「北陸」「能登」よりも一足早く、本日で終了させていただくことになりました。これまでの間、本当にありがとうございました。
【週刊ノリスケ】 幻の路線跡にある「トンネルの駅」
宮崎県にあった第3セクター鉄道「高千穂鉄道」は、2005年の台風被害からの復旧を断念し、2008年に正式の廃線となりました。同線は、国鉄再建法で廃止が決まった高千穂線を引継いだ鉄道でしたが、今回は生き残ることがかなわなかったわけです。その高千穂線は、熊本県の高森駅まで伸ばして高森線(現在の南阿蘇鉄道)と接続させる計画がありました。つまり、高千穂駅と高森駅の間は、幻の国鉄線ということになります。このように計画がありながら実現しなかった路線のことをレールファンの間では「未成線」と呼びます。 高千穂線は、河内トンネルで県境を越え、阿蘇の外輪山を高森トンネルで貫き高森駅に至る計画で、1973年に着工され工事が進んでました。宮崎県内では、レールを敷くというところまで工事が進んでいた場所もありましたが、1974年に高森トンネルの掘削中に異常出水事故が起こり、工事が中断しました。1980年の国鉄再建法の公布により高千穂線・高森線が共に廃止候補となり、両線を結ぶ区間の工事再開も地元で運行を引き受ける会社が現れない限り、行われないことになりました。 全国的にみれば、廃止候補となった路線を第3セクターで引継ぎ、工事中の路線もその新会社で開業させるケースもありました。しかし、高千穂線の場合は、既存線は第3セクターで引継いだものの、新線部分の工事を再開する事はありませんでした。その後、一部の構造物を撤去し、新線用地は地元に譲渡されています。 現在、一部の建設中トンネルを使って地元の神楽酒造が焼酎の貯蔵・熟成を行っています。さらに同社では、葛原トンネルを使った貯蔵状況の公開と製品販売などを行う高千穂観光物産館「トンネルの駅」が2000年にオープンしています。 この写真のように、熊本県菊水町の菊水プラザで保存後、同所が閉鎖してからは放置状態だった48647号蒸気機関車を2003年に引き取り、新線用として架けられていたコンクリート橋の上に保存しています。さらに、同年、高千穂鉄道で廃車となった「たかちほ号」用TR-300形ディーゼルカー2両を引き取り、御食事処「きっ茶ポッポ」として2004年に開店しています。焼酎貯蔵庫として公開されているトンネルと合わせ、まさにミニ鉄道博物館の趣きがあります。 高千穂町は、福岡や熊本と延岡を結ぶ特急バスが通り、山間部の割には公共交通で行きやすい場所ですが、町の中心部からやや離れた「トンネルの駅」は、残念ながらバスで行きやすいとは言えません。しかし、レンタカーなどを活用して、阿蘇や高千穂を観光するなら便利な場所にありますので、機会があれば寄られてみてはどうでしょう。
【週刊ノリスケ】 JR東日本に3両目の蒸気機関車登場が決定
JR東日本は、昨年12月8日にC61形蒸気機関車20号機の復元を行い、2011年春以降に運転を開始すると発表しました。すでに保存運転が行われているD51形498号機、C57形180号機に続く、同社3両目の動態保存蒸気機関車となります。 JR東日本で最初に動態保存されたD51形は、本来貨物用ですが、勾配区間などでは旅客列車にも使われ、国内で最も多く製造された機関車として知られています。通称のデゴイチは蒸気機関車の代名詞として使われるほどです。同社で2番目に動態保存を開始したC57形は、国産旅客用蒸気機関車では3番目に多い製造両数を誇り、四国を除く全国で活躍した機関車です。どちらの形式もJR東日本だけではなく、JR西日本の梅小路蒸気機関車館でも動態保存が行われ、特にC57形は1号機が保存運転の代表格である「SLやまぐち号」の主役を勤めています。 この2形式に比べると、C61形はいささか地味なイメージがあります。同時期に登場したC62形は、東海道・山陽本線や常磐線の特急用機関車として華々しい活躍をした実績があります。それだけでなく、函館本線で急行「ニセコ」を重連で牽引したことでも知られました。さらにSF漫画「銀河鉄道999」のモデルになるなど、実際の活躍以外でも高い知名度があります。C61形も東北本線や鹿児島本線で特急・急行を牽引した実績を残してます。しかし、製造両数が33両と少なめだったことと、東京・大阪などの大都市圏ではほとんど足跡を残さなかったためか、印象が薄いのです。 C61形は、太平洋戦争中に量産され、戦後は余剰気味となったD51形のボイラーなどを利用して、旅客用に改造された機関車です。旅客用とするにあたって足回りの設計はC57形をベースにしたと言われています。動態保存の先輩である2形式と縁がある形式といえるでしょう。また、縁があることと直接の関係はないと思われますが、梅小路蒸気機関車館でも2号機が動態保存されており、僅か33両しか製造されなかった割には動態保存されている割合が高いといえます。 写真は、鹿児島県霧島市城山公園に保存されているC61形19号機です。2号機、20号機と共に奥羽本線の全線電化に伴って青森機関区から宮崎機関区に転属し、日豊本線で最後の活躍をした車両で、この3両が現在残るC61形の全てです。総数の1割近くが現在も姿をとどめているわけで、幸運な形式ですね。梅小路の2号機は、営業運転を行うための検査を受けていないので、動態保存と言っても館内での展示運転だけです。それだけに、20号機が列車の先頭に立って颯爽と走り出すのが楽しみです。
【週刊ノリスケ】JR西日本ローカル列車の塗装が変わる
JR西日本の昨年12月9日付けプレスリリースによれば、同社ではローカル列車の塗装を支社単位で統一するそうです。これは地域色を持たせながら統一性を図るための方針で、まず広島支社所属の電車・ディーゼルカーの塗色が発表されました。 同支社管内で使われる103系、105系、113系、115系、117系、123系電車を濃黄色に、キハ40、47、48形ディーゼルカーを朱色とするそうです。ステンレス車体のキハ120形ディーゼルカーは、塗装変更の対象にはなっていません。 電車の濃黄色は、瀬戸内海に反射して輝く陽光をイメージして選定したそうです。確かに南側に海を見ることが多いこの地区の電化路線には、相応しい色です。一方、ディーゼルカーに採用される朱色は、国鉄時代に新製された当時の塗装です。発表によれば、これがJR西日本全社のディーゼルカー統一塗装となるそうです。同社では山陰地区の一部で、国鉄時代から塗装を変えずに使われている車両があり、レールファンの間で人気が高かったのですが、これが全社に広がるというわけです。 写真は、広島県内の芸備線を走る現在のキハ47形です。この上半分が黄色、下半分が白色の塗装は、広島支社管内のローカル列車用ディーゼルカーの多くで使われ、レールファンの間で「広島色」と呼ばれています。これが、順次朱色一色に塗り替えられるわけです。実は、昨年末の中国新聞に「元日より芸備線で塗り替えられたディーゼルカーが走り始める」という記事があったそうで、偶然の出会いを期待して撮影しました。しかし、わずか4本の列車しか撮影しませんでしたので、そんな簡単に偶然はおこりませんでした。 塗り替え対象のディーゼルカーは、この芸備線広島~三次間のほか、岩徳線、山口線、山陰本線益田~下関間でも使われます。なかでも山口線では、春から秋まで「SLやまぐち号」として蒸気機関車の定期運行が行われていますから、懐かしい光景の再現として人気を集めるかもしれません。国鉄から現役の蒸気機関車が姿を消したのが1976年。朱色一色のキハ40形などが登場したのはその翌年ですから、厳密には年代が合わないのですが、イメージならば誤差の範囲でしょう。 広島支社以外の電車には、どのような塗装が採用されるのかまだ発表がないようですが、やはり気になりますね。また、今の塗装を見ることができなくなると聞くと、記録しておきたいと思うのが人情。しばらくは、忙しく飛び回るJR西日本ファンが増えそうですね。
【週刊ノリスケ】 乗り物ファンパラダイスの函館
新年あけまして、おめでとうございます。 さて、近年の冬の風物詩といえばライトアップですね。ライトアップとならんでお勧めなのが、空気が澄んだ冬ならではの夜景。遠くまではっきりと見えることが多い季節です。函館山から見下ろす市街地のきらめきは、日本三大夜景の一つとされていますが、私のような乗り物ファンにとって、函館の魅力は他にもいろいろとあります。 なかでも、青函連絡船で渡道経験がある人にとって、函館はいまだに連絡船が着く街という印象が強いのではないでしょうか?1987年の青函トンネル開通によって使命を終えた国鉄青函連絡船(最後の1年はJR北海道の運航)は、鉄道で北海道に行かれた人にとって印象深いものでした。船に乗る機会があまりないレールファンにとっては、青函連絡船が唯一の本格的な船旅だったという人も少なくありませんでした。当時は、道内の国鉄(JR)線がバスも含めて乗り放題になる「北海道ワイド周遊券」があり、学生を中心にこのきっぷの愛好者が多くいました。北海道の往復に時間はかかりますが、夜行列車も多くあった当時は、様々な経路で青森を目指すことができました。その青森から青函連絡船に乗り、北海道の第一歩を印したのが函館だったわけです。長旅の末に、ようやく上陸できたことで心が躍ったものです。 この写真の中央やや下にあるライトアップされた船が、保存されている元青函連絡船「摩周丸」です。内部は記念館として改造されているものの、客席の一部が残され、ブリッジなども開放されています。青函連絡船に思い出がある人はもちろん、連絡船がある時代を知らない人も一度は訪れたい設備です。 船の右側にある高架道路の奥には、カーブしたホームが特徴の函館駅が見えます。ちょうど高架道路の位置に青函連絡船が着岸していました。駅のホームは、ほとんど変わっていないはずです。連絡船利用経験がある人は、下船して連絡通路を通って、この曲がったホームに降り立った覚えがあるでしょう。上野を夕刻に出る特急「はつかり」の最終列車や大阪から丸一日かかって青森まで走っていた先代の特急「白鳥」に接続していた夜行便で函館に着くと、ホームの両側で釧路行きの特急「おおぞら」と旭川行きの特急「北海」が並んで待ち受けているという時代は長く続きました。長編成のディーゼル特急が連絡船を待ち受ける光景・・・まさに国鉄が長距離輸送の主役だった時代を象徴する光景でした。その名残が、函館山の山頂からでもはっきり見える長いホームなのです。 青函トンネルが開通した今でも、旅客列車は大多数が函館を終着としており、本州と道内の行き来には函館で乗り換えが必要なことが多いのです。数少ない本州と道内の直通列車も、大半は函館で機関車を交換しています。依然として、函館が鉄道で北海道を目指す場合の玄関口であることには違いありません。しかし、函館駅ホームが連絡船時代のような盛り上がりに欠ける気がするのは、贅沢なノスタルジーなのでしょうね。 函館の魅力は他にも、市電、JR貨物の機関車、津軽海峡を横断するフェリー、夜景の展望台である函館山に上るロープウェイなどまだまだあります。何度も訪れている函館ですが、魅力が尽きることがありません。
【週刊ノリスケ】 蒸気機関車ファン注目の初詣列車
蒸気機関車が似合う光景といえば、雪景色でしょう。観光のオフシーズンである冬に走る蒸気機関車は少ないため、SLクリスマストレインに期待する蒸気機関車ファンは大勢いらっしゃいます。本ブログでも、11月8日付け「【週刊ノリスケ】今年のクリスマストレイン 」で取り上げました。なかでも、首都圏からの行きやすさと美しい沿線風景でファンが多い磐越西線を走る「SL X'masトレイン」は、どのような雪景色となるのか気になっていた人も多かったはずです。 暖冬という長期予報の通り、12月に入っても例年より雪が少なかったのですが、クリスマストレインの季節を待っていたかのように強烈な寒気が日本列島を包み、磐越西線の沿線も例年以上の雪が一気に降りました。あまりの大雪に、運行予定のほとんどが運休した2005年の再現となることを恐れたファンも多かったのですが、それほどのことはなく、遅れはしたものの無事に雪中走行を見ることができました。 蒸気機関車ファンの次の楽しみは、山口線を走る初詣列車「SL津和野稲成号」です。この列車は、天候に恵まれる(?)と、沿線にかなりの積雪を期待できます。しかし、雪をまったく見ることができない年もあります。磐越西線以上に年によって沿線の光景が異なる列車なのです。この写真は2006年に長門峡付近で撮影した同列車で、線路際に雪が残る状況でした。果たして来年正月の山口線は、どのような状況になるのでしょうか?気にしている人も多いはずです。 また、「SL津和野稲成号」の魅力は雪景色だけではありません。実は、以前の山口線SL初詣列車は、通常の「SLやまぐち」号と同じ客車を使い、機関車も同じC57形で、違いは列車名が書かれたヘッドマークと先頭に掲げる日の丸だけという列車でした。大晦日の深夜から元旦の早朝にかけて新山口~津和野間を1往復したのち、三が日の日中に1往復するという運行形態でしたので、SL列車の中で新年を迎えるという楽しみはありました。ただ、撮影派にとっては雪でも降らないと面白味のない列車でした。 しかし、近年では機関車にC56形が起用されることが増え、客車が2両だけに減らされました。昨年からは、大晦日深夜の運行がなくなり、三が日の日中だけ1往復という運行になっています。また、客車も「SLやまぐち号」用のレトロ風客車ではなく、通常の臨時列車用12系客車2両となっています。非力なC56形が使われる時は、補助にディーゼル機関車が連結されるのですが、客車2両では補助機関車は不要です。C56が単独で急勾配に挑む姿が見られるのは珍しく、お正月ならではの光景です。 つまり「SL津和野稲成号」の魅力は雪景色だけではなく、通常の「SLやまぐち号」とはまったく違う姿で走る列車自体にもあるというわけです。来年の正月は、雪景色の中を走る魅力的な姿を見ることができるのでしょうか? それが楽しみです。
【週刊ノリスケ】 ロープウェイと食堂車の意外な関係
このタイトルを見ただけで、どこのロープウェイの話かピンと来た人は、鉄道に関係する会社に詳しい人ですね。 弥彦線の終点である弥彦駅の近くにある弥彦神社は、新潟県を代表する神社で、高い格式と万葉集にも歌われたという長い歴史を持っています。この神社の裏にそびえる弥彦山に、1958年4月に開業したロープウェイがあります。それが、今日取り上げる弥彦観光索道が運営する弥彦山ロープウェイです。全国のロープウェイでも、早い時期に開業した歴史の長いロープウェイです。山頂から南を見ると、ふもとの弥彦神社や広大な新潟平野を望むことができ、北側を見れば日本海が広がります。越佐海峡の対岸にある佐渡島も見えます。春から秋までなら、山頂近くまで弥彦山スカイラインを使い、車でも登ることが出来ますが、スカイラインが冬季通行止めになるとロープウェイの独壇場です。 さて、会社名の弥彦観光索道にある「索道」とは何でしょうか?これは、ロープウェイやリフトを意味します。正確には「架空索道」といい、空中に張ったロープを線路とする輸送機関を指します。目にする事は少ないですが、法令や会社名などでは使われています。例えば、ロープウェイ・リフトメーカーには、安全索道や東京索道という会社がありますし、鉄道事業法ではロープウェイやリフトなどを「索道事業」と表記しています。 では、この弥彦山観光索道と食堂車にはどのような関係があるのでしょうか? 実は、同社は上野、神田などで手広く食堂を営業していた聚楽の関連会社なのです。聚楽の創業者が新潟出身という縁からロープウェイ建設の協力を求められ、これに応えての会社設立となったようです。 その一方、1962年から上野~新潟間の急行1往復に連結された食堂車の営業を聚楽が担当しました。食堂車といえば日本食堂が担当することが多く、この区間でも同時にデビューした電車特急「とき」の食堂車は日本食堂が担当しました。その後、急行の電車化によって、食堂車はビュフェに代わりましたが、「とき」の増発により、聚楽は特急の食堂車営業にも参入しました。レストラン営業の経験を生かして、食堂車で始めて中華料理を出すなど日本食堂とは一味違ったサービスを展開したそうです。さらに、1982年の上越新幹線開業によって、新幹線のビュフェ営業を開始しました。新幹線のビュフェが廃止された現在では、関連会社の聚楽ティ・エス・エスが上越新幹線で車内販売を行っています。 聚楽が手がける他の事業には、都内や関東近郊の温泉地に展開するホテル事業があり、こちらで聚楽の名前を記憶されている人も多いでしょう。筆者もホテルを利用した事があります。しかし、その経験がありながらも聚楽の名前で連想するのは、ビュフェや食堂車です。そのため、弥彦山ロープウェイに行ってもビュフェや食堂車を思い出してしまいます。 鉄道会社やバス会社などの系列会社が経営するロープウェイやレストラン、ホテルは多くありますが、食堂車の営業や車内販売をしていた会社の傘下にあるロープウェイは珍しいですね。
【週刊ノリスケ】 ドクターイエローの撮影に成功!
皆さんはドクターイエローと呼ばれる電車が東海道・山陽新幹線を走っていることをご存知でしょうか? 旅客用に使われる車両ではないので、時刻表には登場しませんし、乗ることもできません。正式には「新幹線電気軌道総合試験車」と呼ばれる車両で、安全に新幹線が運行できるように、走りながら線路や電気施設などをチェックする役目をもっています。 言わば縁の下の力持ちという役割の車両ですが、この写真のように目立つカラーリングでドクターイエローというかっこいい愛称を持っています。そのため、お子さま向けの本などで紹介されることも多く、乗り物好きの子供には人気があるようです。 東海道新幹線では、1969年に開業した時から電気試験車と軌道試験車を使い設備のチェックをしていました。博多までの山陽新幹線が全通すると検測区間が長くなりますので、これに対応するために、初代の新幹線電気軌道総合試験車922形が1974年にデビューしました。ドクターイエローという愛称は、この時に生まれています。この初代ドクターイエローは、初代新幹線電車の0系をベースにした車両で、最高速度210km/hで検測を行っていました。 その後、「のぞみ」の登場など東海道・山陽新幹線を走る列車も次第に変わってきたので、2000年に2代目のドクターイエロー923形が登場したわけです。写真でお分かりのように、700系電車をベースにした車両で最高速度270km/hでの検測が可能となりました。923形にはJR東海が所有するT4編成と、2005年にJR西日本が増備したT5編成の2編成がありますが、外観はほぼ同一です。 さて、ドクターイエローは毎日走っているわけではありません。しかも、JRではドクターイエローの走行日は公表していません。ただ、鉄道趣味誌などの記事やレールファンの目撃情報で、「のぞみ」と同じように主要駅のみ停車して検測する通称「のぞみ検測」と、各駅に停車しながら検測する通称「こだま検測」の2つの走行パターンがあることが知られています。前者はおおむね10日おき、後者はおおむね3ヶ月おきに行われているようです。また、検測は東京を起点に行われ、2日間で博多まで往復します。したがって、下りが走ったことが確認できたら、ほぼ間違いなく翌日には上りが走ります。この写真も、「下りが走ったのを見た」という話を聞いて、翌日に西明石駅に出かけて捕らえたものです。この日は、走る回数が少ない「こだま検測」だったようで、西明石では10分以上停車して、「のぞみ」や「ひかり」に追い越されていました。 列車が着いたホームには、小さなお子さまを連れた人も居て、停まったドクターイエローをバッグに記念撮影をしていました。なかなか見ることができない列車だけに、撮影していても嬉しくなりますね。
【週刊ノリスケ】 発掘された姫路モノレール
読者の皆さんは姫路モノレールって、ご存知でしょうか? 「姫路城」で有名な兵庫県姫路市にあったモノレールです。1966年に開催された「姫路大博覧会」のアクセス交通機関として計画されましたが、開業は博覧会開幕に間に合わず、会期途中での営業開始となりました。姫路駅前から南西に伸びた路線は全長約1.6キロと短いものでしたが、いずれは臨海部の工業地帯まで延長して通勤路線とする構想もありました。しかし、多額の赤字を抱えて1974年に休業し、1979年にはそのまま廃止されてしまいました。このように短命なうえ、姫路城と無関係な位置にある路線でしたから、地元以外では知名度が低くくて初耳の方も多いと思います。廃止から数えても30年を経過しましたが、支障がない部分の線路は、そのまま放置されています。山陽本線を乗り越えるトラス橋は、山陽本線が高架化されるまでは残っており、上を通る山陽新幹線の列車内からも見えましたので、正体を知らないまま線路をご覧になっている方も多いと思います。 実は、残っていたのは線路だけではありません。終点の手柄山駅は、手柄山中央公園という丘の頂上付近の地下にあった駅で、車庫も兼用していました。廃止となった後も、車両はそのまま地下駅で保管されていました。駅に通じる線路が通っていた入口は、コンクリートでしっかりふさがれていましたので、車両は風雨にさらされることなく、日光による退色もないため、保管には理想的な環境で眠り続けていたわけです。 この公園内には、姫路市立水族館があるのですが、施設の老朽化が激しく大掛かりな改修が必要なほどでした。このため、モノレール駅の一部を水族館の新館として改装する事になり、合わせてモノレール車両の公開展示を行うことになりました。改装工事では、車両を外に出す必要が生じ、将来の恒久展示に先駆けて11月15日に1日だけ一般公開が行われました。この写真は、その当日に撮影したものです。将来の展示場所は、地下駅の跡になるため、このように屋外で公開されるのは、これが最後になるのかもしれません。 姫路モノレールは、米国の飛行機メーカーであるロッキード社が開発したロッキード式モノレールを採用していました。この方式は、通常の鉄道と同じようなレールを使い、鉄車輪で走るという特徴があります。ゴムタイヤを使う一般的なモノレールよりも高速走行が可能で、遠距離路線に向くと言われていました。ここのほかに、小田急向ヶ丘遊園モノレールでも採用されました。しかし、向ヶ丘遊園モノレールも2000年に休止され、2001年には廃止されています。しかも、残念なことに車両は残されていません。 すでにロッキード社も、その技術を導入した川崎航空機(現・川崎重工)も、モノレール事業から撤退してますので、この車両は地下から発掘された貴重な工業遺産と言えるでしょう。
【週刊ノリスケ】 すっかり影が薄くなった元祖「のぞみ」
このブログでも何度か取り上げているように、東海道・山陽新幹線の「のぞみ」から500系が引退することは、レールファンだけでなく、多くの人の関心を集めています。500系と聞いてピンとこない方でも、「ロケットのような外観が印象的な青い新幹線電車。初めて300km/hでの営業運転を行い、ギネスブックにも掲載された車両」と説明すれば、判っていただけるのではないでしょうか。JR西日本が今年10月に行った「冬の臨時列車」の発表の中に、「500系のぞみ」(16両編成)は、平成22年2月28日(日)で運転を終了」とあったことで、「のぞみ」からの引退が確実となりました。鉄道ブームと呼んでもおかしくない昨今の状況ですから、定期乗り入れがなくなった後にイベント運転などで一時的に東京へ乗り入れる可能性も否定はできませんが、平成22年3月以降に定期運転される500系は、山陽新幹線の「こだま」の一部だけになると思われます。 500系が「のぞみ」から撤退するのは、JR東海とJR西日本が共同開発したN700系が続々と新製されているからです。さて、「のぞみ」で影が薄くなった車両は、500系だけではありません。「のぞみ」の運転開始時に投入された300系も見かけることがめっきり減りました。 300系は、東海道新幹線の所要時間を短縮するために開発された電車です。そのために、最高速度を220km/hから270km/hに引き上げています。開発中は、「スーパーひかり」という仮称で呼ばれましたが、営業運転を開始するにあたっては「のぞみ」という新しい列車名が用意されました。つまり300系は、元祖「のぞみ」と呼ぶのに相応しい車両です。 1992年に運転を開始した時の「のぞみ」は、東京~新大阪間の始発列車と最終列車のみ・・・つまり1日2往復の運転でした。その後、300系の増備が進むにつれて、東京~博多間で1時間に1本の運転となり、さらに増発が行われました。車両も500系や700系が登場して、現在の「のぞみ」中心の運転体制になったのです。 500系やその後登場した700系では、山陽新幹線での最高速度が向上しましたが、東海道新幹線の「のぞみ」は、300系の性能でも運行が可能なダイヤでした。そのため、定期列車の「のぞみ」が500系や700系となった後も、臨時列車では300系が「のぞみ」に使われることもありました。しかし、N700系の増備により、700系が「こだま」や臨時の「のぞみ」「ひかり」で使われることも多くなり、その分300系を見る機会がめっきり減っています。 以前行われたJR東海の発表によれば、東海道新幹線から山陽新幹線に直通する「のぞみ」は、2009年度中に全てN700系で運行されるとなっています。これが定期列車のみならず臨時列車でも当てはめるなら、来年の春からは300系の出番はますます少なくなりそうです。この写真のように、山陽新幹線でさっそうと駅を通過する300系の姿が見られるのは、あと僅かな期間なのかもしれません。 300系の引退がいつになるかというJRの公式発表はまだありませんが、一部の新聞で2011年度に全て廃車となるという記事が出たこともあります。余命はそれほど長くないと見るのが自然です。高速化のために、接客面では改良の余地を残したまま量産された300系ですが、いま思えばそれも東海道新幹線が大きく飛躍するための「生みの苦しみ」だったのでしょう。今でも300系に乗ると、初めて「のぞみ」に乗車した時の感激を思い出します。
【週刊ノリスケ】 “江ノ電”京都に現る!
江ノ電の愛称で知られる江ノ島電鉄は、JRの東海道本線や小田急の江ノ島線に接続する藤沢と、横須賀線に接続する鎌倉を結ぶ私鉄です。沿線には、会社名でもある江ノ島とそこに続く湘南海岸、長谷寺や鎌倉などの観光名所が多くあるほか、人家の軒先を走ったり道路の真ん中を走ったりする個性的な鉄道として知られ、多くの観光客が利用します。 観光客の利用が多いと言えば、嵐電(らんでん)の愛称で親しまれる京都の京福電気鉄道も挙げられます。都心の四条大宮と渡月橋で知られる嵐山を結ぶ嵐山本線と、北野天満宮に近い北野白梅町を起点とする北野線を運行しています。同社の沿線には、石庭で有名な龍安寺、御室桜で知られる仁和寺、東映太秦映画村など観光名所も数多くあります。嵯峨野・嵐山への足としてだけでなく、沿線を巡る多くの観光客に親しまれています。 この2社が、2009年10月14日・・・つまり今年の「鉄道の日」に、姉妹提携の調印を行いました。両社には、「日本を代表する観光地である古都に立地すること」や「併用軌道があり電車が道路上を走ること」などの共通点があります。さらに、来年の2010年には、「江ノ電が全線開通100周年」及び「嵐電が開業100周年」という節目であることから提携に至ったそうです。 箱根登山鉄道、富士急行、大井川鐵道、JR北海道が姉妹鉄道提携を行っていますが、いずれも提携先は海外の鉄道です。また、共同キャンペーンなどの営業活動を協力して行う例は時々あり、実はこの江ノ電と嵐電の間でも過去にあったそうですが、国内の鉄軌道会社同士で正式に姉妹提携を結ぶのは、江ノ島電鉄と京福電気鉄道が初めてです。 これを記念して、10月14日から両社それぞれで記念塗装車が走っています。嵐電では、江ノ電塗装となった写真の「江ノ電号」、江ノ電では、嵐電塗装となった「嵐電号」です。色調や塗り分けが異なるとはいえ、両社共に緑色とベージュ色を基本とする塗装ですので、違和感はありません。2011年3月末まで走る予定と告知されていますが、ヘッドマークはともかく、塗装自体はもう少し長く見たいものです。 電車の塗装の他に、姉妹提携を記念してイメージキャラクターとその名称の公募も行われています。来年には、スタンプラリー開催や姉妹提携イメージキャラクターを使ったグッズの販売が予定されているそうです。 いろいろと魅力がある鉄道だけに、今後の協力で、さらに興味深い企画が現れることを期待できそうです。
【週刊ノリスケ】 バスに乗って日本一へのモグラ駅へ
「日本一のモグラ駅」と聞いて上越線土合駅とピンときた方は、なかなかの鉄道通ですね。もともとは、山間部にある普通の駅でした。しかし、1967年に上越線が複線化された際に、下り線用として開通した新清水トンネル内に下りホームが設けられ、山岳トンネル内にホームがある駅として有名になりました。 隣にある湯檜曽駅も、下りホームが新清水トンネル内にあるのですが、トンネルの入口に近いためホームへ行く通路は、駅舎からほぼ水平に掘られたトンネルを通っています。ところが、この土合駅の場所では上り線が標高の高い位置を通っているため、地上にある駅舎からの通路は斜坑という斜めに掘られたトンネルにある通路となっています。 土合駅の掲示によりますと、地上との高低差は約82m、通路の階段は486段だそうです。同じように山岳トンネルの中にある駅には北陸本線筒石駅もあります。しかし、こちらは地上との高低差は約40m、階段は280段(上りホーム)・290段(下りホーム)だそうで、土合駅がいかに深いかがわかります。駅建設当時から、将来のエスカレーター設置を考慮して、階段横にそのスペースが作られていますが、エスカレーターを設置する具体的な計画はありません。 写真のように、土合駅は人家がまばらな地区にある駅とは思えないほどの大きさで、洒落た外観の駅ですが、停車する列車は1日5往復だけです。これでは、興味はあっても列車での訪問をためらう人が多いのが実情でしょう。上り列車で行って、下り列車で帰れば、比較的楽にトンネル内の下りホームを利用できますが、東京方面から訪問するには不便です。 そこで活用したいのがバスです。実は、土合駅は観光地として有名な谷川岳ロープウェイに比較的近く、駅前の国道を水上駅からロープウェイに向かう関越交通バスが通り、バス停もあるのです。下り列車に接続の良いバスとしては、次の便があります。 水上駅 8時57分 谷川ロープウェイ行きバス 水上駅 12時30分 谷川ロープウェイ行きバス 水上駅 16時37分 谷川ロープウェイ行きバス 11月末まで運行 体力には自信があるので、話の種に階段を上がってみたいという方には、電車で行ってバスで戻る手もあります。下り電車から比較的、接続が良いバスには以下の便があります。 土合駅発9時3分、10時28分、14時6分 全て水上駅行き 駅員がいた頃には、階段を下る時間を考えて発車10分前に改札を終了していたそうですので、登るにはそれ以上の時間がかかるかもしれません。14時6分発のバスは、接続時間が16分しかないので、接続が良すぎて厳しいかもしれません。 このバスは、もう一つのトンネル駅である湯檜曽駅前も通ります。うまく活用すれば、効率的にトンネル駅巡りをして、谷川岳観光もできそうです。 筆者のお勧めは、水上発12時30分のバスです。これならば、上野発8時35分の快速アーバンから乗り継いできても、週末を中心に運転される高崎始発の「SLみなかみ」でも間に合います。土合駅を見物して、越後湯沢駅には14時17分に到着し、15時05分発の水上行きで折り返せばループ線を2ヶ所持つ清水トンネル経由の上り線も体験できます。折り返し時間は50分足らずしかありませんが、温泉を使った酒風呂に800円で入浴ができる「湯の沢」や500円で5種類の日本酒の利き酒ができる「ていすてぃんぐGALLERY 越の室」がある『ぽんしゅ館』なら駅の中にあるので大丈夫でしょう。駅の中では芸がないとお考えなら、気軽な温泉として知られている「江神共同浴場」なら駅前通りにあり徒歩数分です。 観光地でもあり、鉄道好きの好奇心をそそる土合駅周辺を訪問されてはどうでしょうか?
【週刊ノリスケ】 今年のクリスマストレイン
去る10月16日、JRグループでは冬の臨時列車の運転予定を発表しました。 近年、蒸気機関車(SL)を保有するJR各社では、SLクリスマストレインを運行する例が増えています。筆者が密かに期待したのは、今春、再度の復元作業を終えて運行を再開したJR九州の8620形蒸気機関車58654号機の運行があるかどうかでした。しかし、発表された冬の臨時列車の運転予定の中に、同機の運転予定はありませんでした。蒸気機関車は、気温が低いほうが煙や吐き出す蒸気が綺麗に見えるので、撮影が目的の場合には、冬場が好都合なのです。同機の場合、通常は「SL人吉」として比較的暖かな南九州の肥薩線で走っているだけに、冬場の運転に期待していたので残念でした。 気を取り直して各社の予定を見直すと、JR西日本では「SLやまぐち号」の運転線区である山口線新山口~津和野間で、12月23日に「SLクリスマス号」の運転が予定されています。2007年に登場して以来3年連続の運転となります。寒気が南下すれば雪景色が期待される場所ですが、今年ははたしてどうなるのでしょうか? 山口線で雪景色の蒸気機関車を期待するなら、1月1~3日にも「SL津和野稲成号」が運転されますので、こちらでもチャンスがあります。両列車とも、C57形蒸気機関車が5両の客車を引く、レギュラーの「SLやまぐち号」と違って、小型のC56形蒸気機関車が2両の客車を引くという昔のローカル線を思わせる列車です。 JR東日本では、新潟~会津若松間で毎年のように運転する「SL X'masトレイン」が、12月19・20・23日に予定されています。過去の運転では、雪がない年もありましたが、あまりの豪雪で途中で運転を打ち切った年もあるなど、ホワイトクリスマスの期待ができる列車です。また、日が短いこの時期の復路・新潟行きは、半分も進まないうちに日暮れを迎えますので、夜汽車のムードが味わえます。機関車も客車もレギュラーの「SLばんえつ物語」と同じですが、走るシチュエーションがまったく違います。 夜の運転といえば、JR北海道の「SLクリスマスin小樽」もすっかりおなじみです。札幌~小樽間を走り、運転日が多いのが特徴です。平日の12月11・18・24・25日は札幌発18時24分、小樽発21時です。写真は昨年の同列車ですが、イルミネーションで飾られた派手な機関車になってます。しっとりとした夜汽車とは正反対の姿ですが、クリスマストレインには相応しいと思います。実際、昨年も大人気でした。週末と天皇誕生日にあたる12月12・13・19・20・23日の運転では、札幌発が11時16分、小樽発が17時14分とお子様連れでも見学や利用がしやすい時間帯です。 三社三様のSLクリスマストレイン、それぞれ違った魅力がありますので、どれを選ぶか迷いますね。
【週刊ノリスケ】 梅小路入りした明治の旅客用機関車
京都にある梅小路蒸気機関車館といえば、1972年に鉄道開業100周年の記念として、当時の国鉄が開設した蒸気機関車の展示保存施設です。代表的な国鉄蒸気機関車16形式17両を集めて開館しました。国鉄民営化後は、JR西日本が引き継いで運営しています。JR西日本の運営となった後、同社が広島で静態保存していたC62形1号機が加わり、16形式18両の保存となっていました。 蒸気機関車保存施設が具体化した時点で、現役であった形式を中心に選定されたため、いわゆる近代機と呼ばれる比較的新しい世代の形式が揃えられました。歴史的な価値が高い形式で国鉄自身が保存する蒸気機関車は、交通博物館(現・鉄道博物館)、交通科学博物館、青梅鉄道公園で保存され、梅小路蒸気機関車館にはありませんでした。 ところが、このたび新たに古典機が保存される事になり、今年7月に搬入されました。それが、日鉄鉱業から寄付を受けた1070形蒸気機関車1080号機です。9月14日に譲渡式が行われ、正式にJR西日本へ引き渡されました。その翌日となる9月15日からは、一般公開されています。 この機関車は、1901年にイギリス・ダブス社から輸入したD9形651号機を原型とする車両です。D9形は、イギリス・ネルソン(ニールソン)社の設計した旅客用の機関車で、明治後期の東海道本線における主力機関車として活躍しました。安定した走行を行うため、機関車の前方に配置される先輪を2軸とし、高速を出せるように直径を大きくした動輪を2軸配置するという形態は、明治時代の旅客用機関車では多く用いられています。このD9形では、動輪の直径が1542mmと、この時代では特に大きいことが特徴です。 さて、このD9形651号機は、形式の付け方を変更したことに伴って6270形6289号機となりました。その後、より大型の機関車が登場して第一線を退いてから、機関車の後に石炭や水を積んだ炭水車(テンダー)を連結するテンダー式から、機関車の本体に石炭や水を積むタンク式に改造が行われることになりました。1926年に行われた改造によって、1070形1080号機と改番されます。その後、1939年には日鉄鉱業赤谷鉱業所(新潟県)へ払い下げられ、さらに同社羽鶴鉱業所(栃木県)に転籍して、国鉄から蒸気機関車が引退した後の1979年まで現役でした。 ただし、現役と言っても最後の10年ほどは、ディーゼル機関車の予備が任務で、ほとんど走ることはありませんでした。予備として使うのに問題はないか確認をするために、ときどき試運転が行われていたのですが、「古典機走る」と蒸機ファンの間で話題となるような状況でした。引退後は、日鉄鉱業の車庫で大切に保管されていたそうですが、非公開であったので見る機会はありませんでした。 このような貴重な機関車が公開されたことは、非常に喜ばしいと思います。これまで梅小路蒸気機関車館に保存されていた一番古い機関車は、1914年・・・つまり大正3年製の9633号機と8630号機でしたから、1901年・・・明治34年に輸入された1080号機が加わることで、明治・大正・昭和の三代を代表する主力機関車が揃ったことになります。また、館内で体験乗車用に運転する機関車は定期的に交代するほか、写真が撮りやすいように屋外で展示する機関車も時々変えられますので、何回通っても飽きません。まだ行かれたことがない人も、一回行ったら十分だと思っている人も、1080号機が加わったのをきっかけに行かれてはどうでしょう。
【週刊ノリスケ】 宇和島駅前の複製蒸気機関車
四国にある予讃線の終点・宇和島駅前には、この写真のとおり小型蒸気機関車が展示されています。ただし本物の保存機関車ではなく、実物大の復元モデル・・・つまり複製品です。外観だけの複製品とはいえ、細部までこだわって再現され、事情を知らなければ本物の保存機関車と間違えそうです。 この機関車のモデルは、宇和島で開通した最初の鉄道である宇和島鉄道が使用していた、ドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社製のものです。宇和島鉄道は、現在の予土線宇和島~吉野生間を建設した軽便鉄道で、JRが使用する1067mm軌間(左右のレールの間隔)ではなく、762mmというナローゲージを採用していました。そのため、実用的な鉄道としては、かなり小型な機関車となっています。当時、コッペル社の機関車は、軽便用を中心に全国各地で輸入されていました。 この機関車の展示が始まったのは2000年のことです。「宇和島城築城400年祭記念 鉄道唱歌誕生100周年事業」の一環としての企画でした。同年には、この展示開始の他にも、さまざまな鉄道関係のイベントがありました。まず、ゴールデンウィークに宇和島運輸区構内で、松山市内の民間会社が製作した「坊ちゃん列車」のレプリカ機関車の試乗会が行われました。11月には予讃線松山~宇和島間で、C56形蒸気機関車牽引の臨時列車が運転されています。このような状況で始まった展示ですので、機関車の前にある説明板にあるボタンを押すと、鉄道唱歌のメロディーや蒸気機関車の走行音を聞くことができます。 さて、なぜ「鉄道唱誕生100周年」と宇和島が関係あるのでしょう? 「汽笛一声新橋を」ではじまる鉄道唱歌は、多くの方がご存知でしょう。全国の鉄道沿線の情景を織り込んだ、第1集から第5集まで334番まである長い歌です。そのメロディは国鉄の車内放送用オルゴールなどにも使われましたので、耳にされた方も少なくないでしょう。しかし、宇和島との関係をご存知の方は少ないかもしれません。実は作詞者である大和田建樹は、宇和島藩士の子息として生まれ、宇和島で育ったそうです。 大和田建樹は1910年に没したそうですが、宇和島鉄道の開業は1914年です。つまり、故郷を走る鉄道の姿を見ることはありませんでした。そのためか、鉄道唱歌には宇和島どころか四国も登場しません。しかし、宇和島は、大和田建樹にとって縁のある地であることは間違いないでしょう。 本年9月13日付の記事でも書きましたように、宇和島に至る車窓風景は美しく、宇和島周辺の南予地方は自然が豊かで、すばらしい景観です。また、日本有数の清流である四万十川流域への入口でもあります。宇和島に行く機会があれば、この複製機関車も忘れず見学してください。 余談ですが、機関車のバックに写っているビルは、ホテルが入居している今の宇和島駅ビルです。線路側の部屋からは、宇和島駅構内を見下ろすことができるそうです。
【週刊ノリスケ】 富士山静岡空港拠点の航空会社誕生
4ヶ月ほど前の6月4日に、富士山静岡空港が開港しました。開港までには、建設反対など紆余曲折があって静岡県知事の辞任にまで発展しました。全国ニュースにもなったので、それで静岡空港を知った人も多いと思います。しかし、その位置から東京・名古屋・大阪の三大都市圏への路線は開設されず、利用しそうもない空港と思われる方も多いようで、筆者もその1人です。 ところで、静岡空港誕生と同時に同空港をペースとする新興航空会社が設立されたことはご存じでしょうか。静岡県を基盤とする大手物流業の鈴与が設立した「フジドリームエアラインズ」です。静岡県の人口や経済力から考えると、3大都市圏向け以外にもある程度の移動需要はあると思われますが、それがはたして航空会社を成立させるほどのものであるのかどうか、今後に関心があります。大手航空会社が同空港就航に消極的なだけに、「フジドリームエアラインズ」には頑張って欲しいものです。 さて、同社は7月23日に運航を開始し、静岡と小松・熊本・鹿児島を結んでいます。写真は鹿児島空港で撮影した同社便で、就航に合わせて鹿児島や熊本では、航空会社のみならず静岡県も来県を促すTVコマーシャルを多く流していました。会社自体は、第3セクターではなく100%民間資本ですが、行政も側面からの援助が必要だと考えているのでしょう。2年足らずで九州新幹線鹿児島ルートが全通するとはいえ、静岡~熊本・鹿児島は新幹線が直通しません。途中で乗り換えると時間も手間もかかりますので、ある程度の需要はありそうです。 また導入した機材が、小型ジェット旅客機では世界的に好調なセールスを記録しているブラジルのエンブラエル社の「エンブラエル170」ということも関心をそそります。同型機は、日本航空グループのジェイエアでも導入が進められており、その導入実績によってはローカル国内線の主役となるかもしれません。 巧みな機体設計によって、横4列の座席配置という断面の小さい小型旅客機の割には、ゆとりのある機内で、快適性が高いと聞きます。新しい航空会社のサービスも気になりますので この機種の試乗も兼ねて早く乗ってみたいですが、残念ながらなかなかその機会が見つかりません。
【週刊ノリスケ】 国内最後のホバークラフトが運航中止を発表
空港へのアクセス交通機関と言えば、空港バスが一般的ですね。空港によっては、鉄道やモノレールがある場合もあります。海を埋め立てた人工島にある空港では、船もアクセスに使われます。いろいろあるアクセス交通機関のうち、大分空港にしかないものがホバークラフトです。船の一種に分類される交通機関ですが、走行中はわずかに浮上しており、陸上を走ることも可能なので、船と呼ぶには抵抗がある独自のジャンルの乗り物だと思います。 余談になりますが、英語でのスペルは「Hovercraft」であり、「ホバークラフト」の方が原語に近いです。しかし、国内で紹介された当初は「ホーバークラフト」と表記されることも多く、運航会社名では「ホーバー」という表記も多く見られました。 さて、いささか古い写真(2000年撮影)で恐縮ですが、これが大分空港航路を運航する大分ホーバーフェリーです。右側の船が浮上用の空気をスカート内に送り込んでいる出発直前の様子、左側の船は係留中でスカートがしぼんでいることがわかります。 大分空港は、1971年に市街地の外れにあった旧空港を、大分市街地から別府湾の対岸となる国東半島の海岸を埋め立てた場所に移転しました。このため、空港へのバスの所要時間がかなり長くなることから、その対策として、高速航行可能な船として当時注目を集めていたホバークラフトを使用した大分ホーバーフェリーが就航したわけです。他のホバークラフト国内航路が比較的短期間で撤退することが多かったのに対し、30年以上も運航を続け、使用艇も大型化しています。また、1988年に国鉄宇高航路を引継いだJR四国のホバークラフトが瀬戸大橋線開通に伴って引退すると、国内唯一のホバークラフト航路として快走を続けました。 利用のピークは、43万9千人の利用があった1990年度だったそうですが、昨年度は24万9千人に利用が減少したそうです。さらに、メーカーから2016年に部品供給を終えると申し入れがあったことなども重なり、今月一杯で運航を止め、会社を清算すると発表がありました。 乗り物ファンとしては実に惜しい決定です。しかし、「大分空港道路」の全通と日出バイパスの開通によって、大分空港から高速道路で大分市内まで直行できるようになったことから、役割を終えたと言えるのかもしれません。 大分ホーバーフェリーの大人片道2980円という運賃は、試しに乗るにはちょっと高く感じますが、送迎や体験乗船用に5時間以内で往復するなら大人往復が2800円になる割引運賃もありますので、今月中に大分方面にお出かけの機会があれば、ぜひ乗っておきたいですね。船といいながら、空港・大分乗り場共に陸上からの発進ですから、陸上走行も体験でき、特に空港乗り場では曲芸のようなクランクコース通過も体験できます。このような公共交通機関は、他にはないですよ。
【週刊ノリスケ】 無事に開業80周年を迎えたラクテンチケーブル
昨年8月31日付けの記事とそのコメントで、「無事に2009年9月21日の開業80周年を迎える ケーブルカーというと、遊園地の乗り物の類と同じだと思われている人もいらっしゃるかもしれませんが、実は鉄道の一種として国土交通省の許可を受けて営業しているのです。法律上は、300km/hで走る新幹線ものんびりと山を登るケーブルカーも、鉄道営業法に基づいて許可が必要な鉄道事業という意味では対等なのです。 温泉で有名な別府にある老舗の遊園地「ラクテンチ」は、山の中腹にあるため、山麓から200m余りのケーブルカーで登る必要がありました。規模が比較的小さな遊園地であるラクテンチは経営が苦しくなり、遊戯機械メーカーの岡本製作所に売却されました。しかし、残念ながら状況は好転せず、再度の売却が計画されましたがそれも難航して休止してしまった・・ということまで紹介していました。 その後、岡本製作所が売却を断念して自社で営業を復活することを決め、家族連れを対象の遊園地として今年7月18日に再開したのです。このために大型遊具の一部を撤去して芝生広場や休憩所などを整備すると共に、ケーブルカーも家族連れに相応しい装いに変えました。それがこの写真にある猫と犬の姿を模したケーブルカーです。姿だけでなく、中間地点ですれ違う時には「にゃあ」と「わん」と鳴きます。 以前の車両と比べると見違えるような外観となった車両ですが、車体を丸ごと交換したわけではなく、以前から使われていた1974年製の車体の前後に猫や犬の顔を模したお面をかぶせたものです。この手法、実は2000年に登場した近鉄・生駒ケーブルの新車にも用いられたものです。もしかしたら他のケーブルカーにも広がるかもしれませんね。 さて肝心のラクテンチですが、再開後は地元の家族連れの来場が増え、この夏は目標の来場者数を突破したそうです。機会があれば読者の皆様も、このユニークで歴史のあるケーブルカーに行かれてはどうでしょうか? 入園料込みの乗車券なので、大人1000円とケーブルカーの往復だけには割高な印象があります。しかし、そこはさすがに別府の遊園地です。園内には別府湾を見下ろすことができる無料の天然温泉「絶景の湯」もあります。ホームページ(http://www.wonder-rakutenchi.jp/index.html)の割引券をプリントアウトして持参すれば10%引きですし、温泉代とケーブルカー運賃と思えば高くないでしょう。
【週刊ノリスケ】 生かされなかった複線用トンネル
現在は単線で営業をしていながら、将来に備えて複線の準備がされているという路線は全国に何ヶ所もあります。比較的新しい路線では、京成千原線や神戸電鉄公園都市線などのニュータウン鉄道で見られます。このほか、篠ノ井線や羽越本線などで見られるように、国鉄時代に複線化の準備工事として複線用トンネルを竣工させながら、暫定的に単線で使用を開始して、そのまま使い続けているというケースもあります。 また、歴史のある区間では、現在複線化工事が行われている山陰本線京都~園部間の大部分のように、開業当初から土地だけは複線分を確保してある事例も意外とあるようです。ただ、土地だけでは一見しただけは判りにくいです。 さらに古い線区でありながら、土地取得以外にも複線化の準備がなされ、複線用の鉄道施設が準備されている例が見られます。その代表的な事例が、この写真の平成筑豊鉄道田川線の第二石坂トンネルです。この線は、1895年に豊州鉄道が開業した路線で、このように100年以上前から、この複線用トンネルを使っています。九州最古の鉄道用トンネルということで、国の登録文化財となっています。また、すぐ近くにある第一石坂トンネルも複線用トンネルで、トンネルの行橋方にある鉄橋も一部の橋脚が複線用に幅が広いタイプとなっています。 まるで御殿場線のように、いったんは複線となりながら単線に戻されたような光景ですが、田川線が複線になった事はありません。筑豊炭田の運炭路線として開業したことから、輸送量が増えたら複線化することを想定したのでしょう。 このように複線用として掘られながらも、単線で使われ続けているトンネルには、同じ北九州地方にある日田彦山線の金辺トンネルや唐津線の笹原トンネルがあります。どれも運炭鉄道のトンネルとして完成したということが共通点です。 さて、田川線の第二石坂トンネルは源じいの森駅の崎山駅寄りにあり、ホームや近くの陸橋からトンネルの出口を見ることが出来ます。「源じいの森」は、日帰り温泉やレストラン、キャンプ場、宿泊設備なども備えられた施設で家族連れでも楽しめる場所です。何より駅が近いのが嬉しいですね。さらに、ヨ9000形という試作タイプの車掌車が保存されています。車掌車が懐かしい人も、見た覚えがないという人も一見の価値があると思います。
【週刊ノリスケ】 一番新しい私鉄新線
いま国内で最も新しい私鉄新線というと3月20日に開業した阪神なんば線を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、開業が最も新しいのは4月26日に開業した、この写真の路線なのです。 写真を見て、「あまり新しそうな線路に見えない」とか「どこかで見たような車両だ」と思われた方がいらっしゃるかもしれません。そのどちらも正解です。 実は、この線路は2005年までJR貨物と北九州市が営業していた門司港地区にあった貨物線を転用したものです。写真を撮った場所は、門司港駅から伸びたJR貨物の貨物線の終点だった外浜駅付近で、この駅から北九州市の保有する貨物引込み線が延びていたのです。車両は、南阿蘇鉄道でトロッコ列車に使っていた機関車と島原鉄道のトロッコ列車で使っていたトロッコ客車なのです。 門司港レトロ地区として観光地となった門司港地区で、貨物線を活用した観光列車運転の構想は以前からあり、それが実現したのがこの列車というわけです。使われなくなったJR貨物の貨物線を北九州市が取得し、市営の引込み線と合わせて、正規の鉄道として国土交通省の許可を受けたのです。ただし、2000年の鉄道事業法改正によって認められるようなった「特定目的鉄道事業」としての許可で、観光目的の乗客を対象とする鉄道という位置づけになります。 北九州市が第3種鉄道事業者として鉄道施設を保有する一方、平成筑豊鉄道は、第2種鉄道事業者として運営を担当する上下分離方式の事業形態を採用しています。さらに線名や駅名は、ネーミングライツを販売して運営費の一部にあてています。この結果、門司港レトロ観光線という公式の線名に対して、山口銀行が命名した「やまぎんレトロライン」という愛称があります。また駅名も、ネーミングライツに応募がなかった終点の関門海峡めかり駅を除き、ネーミングライツ購入者が命名した駅名です。さらに列車には、一般公募で決めた「潮風号」という愛称もあります。 運行は、春から秋までの土・休日(ゴールデンウィークや夏休み期間は毎日)で、観光目的の鉄道らしい設定です。 列車の前後に1両ずつ連結される機関車は、もともと機械扱いで駅構内での貨車の入換えに使われ、貨車移動機と呼ばれていた車両です。正式な鉄道車両ではありません。南阿蘇鉄道でトロッコ列車を運行するにあたり購入され、正式な機関車として使えるように改造が行われました。新車を導入して廃車となったので、門司港レトロ観光線で使うために購入され、さらに整備が行われています。背が低いため、トロッコから前や後を見るのに妨げになりにくく、トロッコ列車に向いています。乗客が乗るトロッコは、もともと貨車だった車両を改造しており、生まれが貨車ならでは乗り心地の悪さもここでは一つの魅力です。 門司港駅に隣接した九州鉄道記念館駅を出発した列車は、門司港レトロ地区や関門橋を眺めながら関門トンネル人道口に近い関門海峡めかり駅を目指します。現在、関門国道トンネルが改修中なので通行はできませんが、来春には海の下を歩いて下関に渡り、唐戸までバスで移動して、唐戸から関門汽船で門司港に戻ることができます。変化に富んだ関門海峡を巡る周遊ルートでなかなか楽しそうですね。
【週刊ノリスケ】 めまぐるしく変わる車窓が魅力の「宇和海」
写真の特急「宇和海」(うわかい)は、予讃線の松山~宇和島を走る特急で、JR四国が開発した2000系特急用ディーゼルカーを使用しています。愛称の「宇和海」は、四国と九州を隔てる豊後水道の四国沿岸を指す海域名で足摺宇和海国立公園として自然公園名ともなっています。 四国の西端、予讃線の末端区間を走る特急ですから、馴染みのある方は少ないかもしれませんが、乗ってみるとなかなか楽しく、乗り応えがある列車でした。強力なエンジンを積む2000系の最高速度は120km/h、さらにカーブを高速で走っても乗り心地の低下が少ない振子式を採用しています。この結果、アップダウンやカーブの多い区間でも速く走ることができます。 国鉄時代は、松山~宇和島間103.2kmを特急で2時間弱、急行で2時間強で結んでいました。現在、特急「宇和海」の最速列車は、1時間14分で松山~宇和島間を走りぬけます。これは、短絡新線の開業やJR化後、高性能な2000系の登場やポイントやレールなどの線路自体の改良が進んだことで実現しました。 短絡新線とは、国鉄末期の1986年3月に開業した向井原~内子間と新谷~伊予大洲間です。これにより、距離は6.3km、所要時間は約10分短縮しています。内子~新谷間は、五郎~内子間だった内子線の一部を改良して使っています。このような経緯から、両側を予讃線にはさまれている不思議な状態にある現在の内子線があるわけです。 さて、このような背景を持つ「宇和海」に松山から乗ってみましょう。向井原までは松山平野を走ります。伊予長浜経由の旧予讃線と別れ新線区間に入ると、明らかに他の区間に比べ近代的な線路となります。急勾配ですが、そこは強力なエンジンの強みで100km/h前後の速度で登ります。大洲盆地を横切ると夜昼峠を越えて宇和海に面する港町・八幡浜に下ります。方向を南に変えると、標高200mほどの宇和盆地に、向う峠路です。八幡浜~宇和島間はローカル線の規格で建設されたので、急カーブも多く、幹線系では全国的にも数少ない、33‰の急勾配があります。一方、宇和盆地内には水田の中に長い直線区間があり、ここでは最高速度の120km/hを体験できます。下宇和を通過すると法華津(ほけつ)トンネルを抜けて、宇和海の法華津湾を見下ろしながら一気に33‰勾配で海に近い伊予吉田へ下っていきます。カーブが多い区間を抜けると終点の宇和島です。列車の背後に写っているヤシ並木は、駅前通りの並木で、南国ムードを感じる街です。 全国的に名が知られるような峠こそありませんが、100km程度の区間に峠越えが4ヶ所もあるので、大げさに言えばジェットコースターのような路線です。さらに、昭和末期に建設された近代的な区間あり、戦前にローカル線の規格で建設された区間あり、平坦な水田地帯あり、海を見下ろす絶景ありと、目くるめく車窓に飽きることがありません。機会があれば「宇和海」の車窓をお楽しみください。
【週刊ノリスケ】 「こだま」に格下げされた最速新幹線500系電車
500系新幹線といえば、子供の頃に見た絵本で「未来の列車」として描かれていたロケットのような外観も持つ東海道・山陽新幹線を走る電車です。JR西日本が山陽新幹線でのスピードアップを図って開発した電車で、最高速度は300km/h、ギネスブックに世界最速の電車として掲載されました。 1997年3月に新大阪~博多の「のぞみ」でデビューし、同年11月には東京~博多の「のぞみ」でも運転を開始しました。それから10年間、東海道・山陽新幹線の第一線で活躍を続けましたが、東海道新幹線内のスピードアップを実現し、山陽新幹線内もほぼ同じ速度で走ることができるN700系電車が登場してからは、徐々に活躍の場が狭くなってきました。2007年12月16日の週刊ノリスケにも「2008年3月のダイヤ改正で500系が東京駅から姿を消すかも」と書いたのですが、予想は外れ、今でも東京~博多を1日2往復してます。しかし、11月10日から1日1往復となることが発表されました。 ≪現在の東京~博多500系「のぞみ」≫ 残る1往復は、ほぼ明るい時間帯を走りますので、お名残見学に向いてます。 あと注目したいのが臨時「のぞみ」です。東京~博多で最大1日2往復が500系で運転されると予告されていますので、この秋の連休が狙い目ですね。 前置きが長くなりましたが、この写真は8両編成に短縮されて山陽新幹線の「こだま」で使われる500系です。昨年の秋、話題を集めて引退した0系電車に代わって山陽新幹線にデビューしました。山陽新幹線の「こだま」に短編成化された0系や100系電車は4両編成や6両編成でしたが、500系は車両のシステム制限で8両編成より短くするのが難しいのです。これまでの「こだま」よりは長い編成ですが、格落ちの感は免れないですね。 100系の「こだま」用編成では、0系を引継いで全車が2列&2列シートになっていますが、この500系では以前と同じ2列&3列シートのままです。ただし、座席指定車の6号車はグリーン車の格下げ使用ですので、2列&2列シートで座席の前後の間隔も以前のままです。さすがに読書灯やフットレストなどは撤去されてますが、ゆったりとした座席にはおトク感を感じます。 ただ、格安で好評な「こだま指定席往復きっぷ」を利用する場合は、5号車など2列&3列シート車の利用になりますので、グリーン車格下げを期待するならこのきっぷは使えません。 500系を使う「こだま」は、723・737・746・766・768・770・783・787・854・858・859・865号です。意識しないとなかなか出会えませんが、「こだま」用となった姿をねぎらう気持ちで乗車してみたいですね。
【週刊ノリスケ】 津軽海峡の超高速フェリー臨時運航中!
津軽海峡を横断して青森と函館を結ぶフェリーは、昨年3月23日付けの週刊ノリスケで「新世代の津軽海峡横断フェリー」というタイトルの記事にして取り上げました。その当時、東日本フェリーが「ナッチャンRera」という超高速フェリーを運航中で、追って2隻目の「ナッチャンWorld」の就航も決まっている事を紹介する内容でした。その当時は石油価格が高騰しており、ガソリンの値上げに苦しむ自動車と同様に、船も燃料の重油や軽油の値上がりに苦しんでおり、燃料消費量が多い超高速フェリーには特に厳しい時代でした。 結局、超高速フェリーを運航していた東日本フェリーは、フェリー運航事業をグループ会社の道南自動車フェリーに譲ることになり、2隻の超高速フェリーの運航は休止されることになりました。以前の青函航路では旅客も扱う東日本フェリーとトラック専門の道南自動車フェリーという関係(他にトラック専門のフェリーが2社ありました)でグループ会社の住み分けが図られていたわけですが、規制緩和で旅客も扱うようになっていた道南自動車フェリーと合同することで合理化を図り、厳しい時代を生き残ろうとしたようです。さらに道南自動車フェリーでは、イメージチェンジを意図してか「津軽海峡フェリー」という愛称を使うようになりました。 「ナッチャンRera」と「ナッチャンWorld」は係留されていましたが、夏季の多客期の応援に7月19日から9月末まで「ナッチャンWorld」が運航されることになりました。ダイヤは函館発10時45分→青森着13時30分、青森発14時25分→函館着17時10分の1往復です。 快適なフェリーであるのは昨年の記事にある通りです。函館旅行のついでに十和田湖や竜飛岬に足を伸ばすとか、高速道路のETC休日割引で安い高速料金で青森まで行ったついでに北海道まで足を伸ばすのにも使えそうです。青森発が午後ですから、函館に着いてホテルにチェックインし、函館山から夜景を見物、翌朝は朝市に行って青森に戻るスケジュールなどが組めます。 9月までの臨時運航と聞くと「この機会に乗っておかなきゃ」という気持ちになりますね。写真は、津軽海峡フェリーからご提供いただいたもので、手前がいま臨時運航中の「ナッチャンWorld」です。
【週刊ノリスケ】 夜景が楽しみな皿倉山スロープカー
北九州に縁がある読者以外で皿倉山という名前を見てピンときた人は、夜景かケーブルカーに人一倍の関心がある人かもしれません。皿倉山は北九州市八幡東区にある山で、帆柱ケーブルで登ることができます。この写真でもわかるように、眼下には北九州市の市街地が広がり、八幡製鉄所に代表される北九州工業地帯の工場群や洞海湾を横断する若戸大橋などを一望できます。昼間の景色も見事ですが、夜景はさらに見事です。日本三大夜景と言われる函館の函館山、神戸の六甲山、長崎の稲佐山に匹敵するのがこの皿倉山とまでいわれています。 ところで、帆柱ケーブル内からも下界の眺望を見ることができますが、左右があまり開けていないうえ、山上駅は山頂手前なのです。それだけに、山上駅からもう少し登りたいところです。そこで、以前からケーブルの山上駅から皿倉山山頂付近までリフトが運転されていました。このリフトからの眺めも抜群だったのですが、施設の老朽化対策を兼ねて、子供や老人にも優しい乗り物として2007年に登場したのがこのスロープカーです。 スロープカーとは簡易形のモノレールで、レールに刻まれた歯と車輪の歯をかみ合わせることで急坂に対応したラック式鉄道と同じ理屈で走ります。「みかん山モノレール」などと呼ばれる山間部の貨物モノレールを発展させた乗り物で、最近では各地に登場しています。皿倉山の車両は、線路の勾配に合わせて、床を水平に保つシステムが装着されており、快適に乗車できます。また、窓が大きく眺望に優れるうえ、座席を下界に向けて、言わば動く展望台としています。 帆柱ケーブルは、スロープカーより一足先の2001年にリニューアルされ、スイス・CWA社製のスマートな車両になっています。ガラス張り屋根の車両は開放的で、観光用にぴったりです。GWや夏季の毎日と土休日には、帆柱ケーブルとスロープカーが共に夜間運転しています。 全国的な知名度は今一つですが、隠れた名所です。機会があれば、有名になる前に、夜景も乗り物も魅力的な観光地・皿倉山へ、出かけてはいかがでしょうか。福岡~小倉の高速バスが通る高速帆柱ケーブルバス停が近くにあり、高速バスには珍しく北九州市内のバス停同士での乗降も可能ですので、手軽に訪問できます。
【週刊ノリスケ】 市電並み?に運航が多いフェリー
市電というと、さほど待つこともなく次の電車が来るというイメージがあります。その市電のように、運航回数が多いフェリーが鹿児島市営の桜島フェリーです。さすがにラッシュ時の鹿児島市電のように3分間隔というわけにはいきませんが、多くの時間帯で10分間隔で運航してます。しかも、深夜や未明は1時間間隔になってしまうとはいえ、24時間運航ですから、この点では市電より便利です。全国のフェリーを全て調べたわけではないですが、ここまで運航本数が多いフェリーは珍しいはずです。 運航本数という点だけを取り上げると、2社が競合している岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ宇高航路や広島県の宮島航路、多数のライバルがひしめき合う尾道と向島を結ぶ尾道水道横断航路などがありますが、航路の長さや運航する時間帯、船の大きさなどの点で違いが大きく、なかなか似た航路は思い当たりません。 桜島フェリーは、鹿児島港と桜島港を結ぶ航路で、以前は桜島町の町営フェリーでしたが、平成の大合併の結果、今では鹿児島市営となっています。人口60万人を超える鹿児島市内の重要な交通機関であるのみならず、大隅半島と鹿児島市を結ぶ重要な交通機関であるので利用者も多く、運航回数が多いわけです。航路の距離は3.4km、所要時間は15分です。10分間隔で運航する時間帯は、鹿児島港に2ヶ所、桜島港に3ヶ所ある乗り場を交互に使い、対向便の到着と行き違うように出港、途中で同時刻に反対側を出た便とすれ違い、入港すると接岸作業も終わらないうちに対向便が出港していきます。 錦江(鹿児島)湾を迂回していくと、約80kmで1時間半はかかりますから、利用価値は高く、これだけ便数が多くても、多くの車や乗客が乗り込んでいきます。運賃は人だけなら150円と、鹿児島市電の運賃160円よりも安いのです。車の場合、料金は有料道路の料金所そっくりなゲートで、車に乗ったまま支払います。この料金所は桜島側にしかないので、鹿児島から乗った場合、降りてから支払うことになります。初めてのときは「無料で乗ってしまった」とちょっとドキドキしました。 写真のように、短時間航路にしては大きい船を使っています。6隻ある船の総トン数は、502~1279トンと様々ですが、これは車両甲板が1層か2層かとか客室設備の違いで生じている差です。船体のサイズで比べると、どの船も長さは55m前後、幅は13m前後と似たような大きさです。ここの船の特徴は、両頭船と呼ばれるタイプを採用していることです。このタイプは、船首にも船尾にもスクリューと舵を備え、操舵室も両方にあるので、前後どちらでも同じように運航が可能となってます。通常の船ならば、到着か出発の時に方向転換が必要ですが、電車が折り返すように、逆方向に進むだけで済むわけです。小型カーフェリーではよく見られるタイプですが、このサイズの船では珍しい存在です。一見、どちらが前か見分けがつきませんが、よく見ると船首側には錨があり、船尾側には錨がないようです。乗船してしまえば、船室内の多くの椅子は前向きに固定されていますので、どちらが前かはすぐ判ります。桜島の眺めをよくするためか、船首は桜島向きで運航しているようです。 短時間の航路ですが、船内には売店やうどん屋がありちょっとしたドライブイン代わりにもなっています。船によっては、オープンになった甲板にうどんスタンドがあり、潮風を浴びながら食べることができます。 鹿児島駅から歩いて数分でターミナルに着きますので、ちょっと時間が空いたときに気軽に乗れるのも嬉しいですね。
【週刊ノリスケ】 再び復活したJR九州の蒸気機関車
いささか以前の話題となってしまいましたが、今年の4月25日からJR九州で定期的に蒸気機関車の運行が始まりました。こう書くと、読者の中には「JR九州って阿蘇山を走る豊肥本線で蒸気機関車を運転していたのでは?」と思われた方がいらっしゃるかもしれません。これはそのとおりで、JR九州は8620形蒸気機関車58654号機の復元工事を行い、1988年8月から豊肥本線熊本~宮地で「SLあそBOY」号として復活運転を開始しました。しかし、2005年に58654号機は運転継続が困難であるほど老朽化が進んでいることが判明し、同年8月に運転を終了しました。 JR九州小倉工場で同機を調査した結果、大規模な補修等を行うことなりました。例えば台枠という機関車の土台となる主要部品を新調しています。この結果、58654号機は今春に2度目の復活を遂げたのです。1988年に最初の復活をした際には、蒸気機関車の心臓部とも言える蒸気を作るボイラーを新調していますので、2度の復元工事で主要部分はすっかり交換が行われた事になります。 SL列車と言えば、機関車が引っ張る客車が必要です。これには2005年まで「SLあそBOY」で使われていた車両を再整備して使っています。以前は、上半分がクリーム色、下半分が茶色というツートンカラーだったのですが、今回の復活運転に向けた整備では、裾回りが黒色、上部が茶色という落ち着いた色調に改められました。3両編成で、1両目と3両目の端は展望ラウンジになり、最前部となったときには機関車を、最後部となったときには走り去る景色を眺めることができます。中間の車両にはビュッフェがあり、飲み物や軽食を販売しています。 今回走る肥薩線は、もともと鹿児島本線として開通しました。しかし、昭和2年に水俣経由で八代~鹿児島が結ばれたため肥薩線となりました。明治時代に幹線として開業したため設備がしっかりと造られており、古い施設がよく残っています。例えば、この写真の鉄橋は開業時に輸入されたアメリカ製です。また、坂本、白石の駅舎は、1908年の開業以来100年以上使われているそうです。まさに1922年生まれの58654号機が走るのに相応しい路線ですね。 今年の運転は、11月末までの金・土・日曜日が中心ですが、夏休み期間中は火曜日を除くほとんど毎日に運転されています。2011年春には、九州新幹線博多~新八代が開通し、新大阪から鹿児島中央まで直通列車が走る予定です。新幹線の開通を待って訪れるもよいですが、新幹線開通前の鹿児島本線の賑わいを確かめながら訪問するのも楽しそうです。
【週刊ノリスケ】 旅の雰囲気がある私鉄
私鉄というと通勤・通学の足である路線が多く、旅というよりも実用的な交通機関というイメージが強いですね。ただ、なかには黒部峡谷鉄道のトロッコ電車や大井川鐵道のSL列車のような実用的ではない例もありますが、こうなると乗車すること自体が目的となり「旅の雰囲気」とは少し違うような気がします。 旅の雰囲気を定義っぽく言えば、「ある程度の距離を移動する手段でありながら、実用一辺倒ではない・・・」とでもなりましょうか。例えば、観光地に向う有料特急を走らせる東武、小田急、近鉄あたりが実用的な交通機関でありながら、ある一面では旅の雰囲気を持つ私鉄といえるでしょう。 なかでも東武には、独特の雰囲気を感じます。特にターミナルである浅草駅は特筆に値しましょう。というのも、他の大手私鉄ターミナル駅のようなあわただしさがないのです。これは、都心への乗客の流れが北千住でJRや東京メトロへと続き、浅草に至っていないためです。 さらに大きなテーブルとボックスシートを備え、トイレもある6050系電車を有料特急以外でも走らせている点が、他の私鉄とは一味違う雰囲気を生む理由の一つでしょう。写真の特急スペーシアと6050系快速電車による2本建てで観光客輸送に臨む体制は、特急と急行の2本建てで長距離輸送を行っていたかつての国鉄の姿にも通じます。 さらに東武には駅弁があります。駅弁や弁当の車内販売は他の私鉄にもありますが、東武の場合、下今市駅でホームでの立ち売りが行われ、特急だけでなく快速相手でも弁当を売る姿が見られます。JRの駅でも見かけることが減った弁当の立ち売りには、なんともいえぬ懐かしさがあります。特急で日光や鬼怒川温泉に行くときよりも、停車時間の長い野岩鉄道に直通する快速で訪れ、電車に乗ったまま弁当を買って会津方面に向うほうが似合いそうな光景です。
【週刊ノリスケ】 東京湾の手軽なミニクルーズ
東京湾の旅客船といえば、浅草やお台場などから出ている水上バスがお手軽です。しかし、水上バスは小型船で、航路も川や運河が多く、東京湾に出ても沿岸沿いに進むだけです。岸辺の景色を見ているだけでも楽しいのですが、小型船であるがために、船内を歩き回る楽しみもなく、クルージングというよりも観光バスの水上版という雰囲気で、まさに「水上バス」とは言いえて妙です。 今回は、もう少しランクアップした、でも気軽なミニクルーズをご紹介したいと考えました。ミニクルーズと言うからには、船内を歩き回れるような船に乗りたいですよね。とはいえ、豪華なランチやディナーを楽しむミニクルーズ船は、魅力的なもののお値段からも手軽とは言い難いです。 そこでお勧めしたいのが、三浦半島の久里浜港と房総半島の金谷港を結ぶ東京湾フェリーの船旅です。久里浜港は京急久里浜駅(JRの久里浜駅も近いです)からバスで行きます。金谷港は、内房線浜金谷駅から徒歩数分です。「都心から遠すぎてお手軽ではない」と言われそうですが、久里浜なら京浜急行やJR横須賀線を利用して、簡単に行くことができます。東京湾フェリー自体の運航も、1日に14~20往復と多いです。むろん予約は不要で、思い立ったらすぐに出かけることもできます。ミニクルージングが目的なら、行先の港で下船せずに折り返す「遊覧割引運賃」があります。通常は片道700円、往復1280円のところ、この運賃では1000円です。せっかく房総まで行くのに上陸なしでは面白くないとお考えなら、京浜急行と港までのバス、フェリーの往復乗車券をセットにした「東京湾フェリー往復きっぷ」がおすすめです。こちらは、京急久里浜と泉岳寺以外の京浜急行の駅で売っています。JRの方が便利な方は、8月末までの毎日と9月の週末に発売されるツーデーパスはどうでしょう。JR線だけでなく、久里浜港までのバスや東京湾フェリーもフリーエリアに含まれています。 帰りは別のルートでとお考えなら、帰りはアクアライン経由のバスはどうでしょう。残念ながら金谷港から出ていませんので、内房線で木更津などに移動する必要はありますが、新宿・品川・川崎・横浜などへの直行バスが出ています。 就航しているのは、この写真にあるような全長約80m、3000t級の船です。2層ある客室には椅子席やテーブルのあるソファー席などさまざまな客席があり、売店やスナックコーナーで生ビールや軽食を買うこともできます。天気がよければ、潮風を浴びて甲板のテーブル席で気持ちよく過ごせます。多くの船が出入りする東京湾の入り口を横断する航路ですから、いろいろな種類・大きさの船を眺めているだけで楽しく時間を過ごすことができます。多くは貨物船ですが、伊豆諸島に行く客船も通りますし、運がよければクルーズ客船に出会うかもしれません。東京湾の入り口とはいえ、太平洋から房総半島に隔てられる位置になりますので、ほとんど揺れません。その上、甲板を見る限りではアンチローリングタンク(横揺れ防止装置)を搭載しているようです。 面白いのは、他の航路の船ではまずお目にかかれない設備があることです。それは、ゴルフのキャディバッグスタンドです。週末には、南房総のゴルフ場に向うゴルファーが多く利用するので、大きくて重いキャディーバッグを席まで持ち込まなくてもよいように、客室入り口近くにスタンドがあるのです。それだけゴルファーが多く利用するフェリーというのも話のネタに一見の価値があるかもしれません。 潮風を浴びに、南房総までのミニクルーズはいかがですか。
【週刊ノリスケ】 最後のボンネット形電車
国鉄の電車特急として、この写真のボンネット形先頭車を思い浮かべる人は、もう少数派かもしれません。国鉄初の電車特急「こだま」として東海道本線に登場した20系電車(後に151系電車と改称)の先頭車が、このボンネット形でした。それ以来、近代的な電車特急のシンボルとして、一般の人にも知られました。 東海道本線に次いで、上越線に電車特急を新設する時も、その後に東北本線や北陸本線に電車特急を新設した時も、地元からボンネット形の電車という要望があったと言われています。その後も一部を除いて、1971年まで特急用電車ではボンネット形先頭車の製造が続けられました。上越線・信越本線・中央本線・山陽本線などの直流電化区間で活躍した181系特急形電車、東北本線・北陸本線・山陽本線・鹿児島本線・日豊本線などで活躍した交直両用の485系特急形電車がボンネット形の代表格です。なかでも485系は、交流電化区間が延びると共に、従来の直流電化区間からの直通運転に欠かせない存在として、各地で脚光を浴びる機会も多かったです。電化区間の伸びと共に全国各地に足跡を残したボンネット形電車ですが、老朽化と共に姿を消し、営業用として残るのは489系特急形電車の8両だけになりました。 489系は485系を信越本線碓氷峠対応とした形式で、急勾配の碓氷峠を上り下りするための補助機関車と連結運転が可能な性能を持っています。長野新幹線の開通に伴い、碓氷峠のある横川~軽井沢間が廃止されると、碓氷峠に対応した能力を発揮する機会は失われましたが、北陸と首都圏を結ぶ列車を中心に使われています。以前は、上野と金沢を結ぶ特急「白山」用のオリジナル塗装だったのですが、今では国鉄時代の特急用塗装に復元されています。 すでに定期列車で特急に使われる事はなく、近年は臨時でも特急に使った実績はほとんどありません。しかし、上野と金沢を結ぶ夜行急行「能登」1往復と上野→古河の「ホームライナー古河」・上野→鴻巣の「ホームライナー鴻巣」片道各1本に使われています。写真は、直江津駅に停車中の上野行き「能登」です。国鉄時代を思わせる光景で、昔を知る人には懐かしく、知らない人には動く博物館のような光景でしょう。この夏は「能登」に乗って、北陸旅行や東京旅行というのはどうでしょう。ただ、座席ですので少々疲れるのが難点です。
【週刊ノリスケ】 都電おもいで広場に行ってみよう
唯一残された都電路線、それが三ノ輪橋と早稲田を結ぶ都電荒川線です。途中、京成線町屋、京浜東北線王子、山手線大塚の駅前を経由して東京北部を東西に走っています。他にも、東京メトロ千代田線・有楽町線・副都心線や都営地下鉄三田線、日暮里舎人ライナーなどとも接続しており、各方面との連絡は案外良好です。荒川線については5月10日の当ブログの記事「【週刊ノリスケ】 リバイバルカラーで走る都電」でも取り上げましたのでご記憶の方も多いと思います。 この荒川線にある唯一の車両基地が荒川電車営業所です。ここに隣接して「都電おもいで広場」が、2007年5月26日にオープンしました。営業所内に保管してあった都電車両2台を公開する場所で、土・日・祝日の10時~16時に開場しています。 公開された2両とは、5500形5501号車と、この写真の7500形7504号車です。5500形は「PCCカー」という、アメリカで開発され、欧米で普及した高性能路面電車の仕様をライセンス購入して製作した電車です。加速操作やブレーキ操作を自動車と同様に足踏みペダルで行うのが特徴でした。足踏み式は国内では特殊だったため、後に国内で一般的な手で操作する方式に改造されましたが、保存するにあたってペダル式に復元されました。座席を撤去して、展示物が積まれているのは保存車両としては残念ですが、貴重な車両が残されているだけでも価値があります。 一方、7500形は都電が荒川線だけになる前に量産された最後の電車です。荒川線を恒久的に残す方針が決まり、ホームをかさ上げして電車の床との段差を解消した際に、ドアのステップを埋める改造が行われました。その後、冷房化を行うにあたって車体を交換したのですが、この7504号車など一部の車両は冷房化を見送り新車体にはなりませんでした。したがって、試作車的な色が濃い5501号と異なり、都電で実用的に使われていた車両といえます。そう考えると「都電おもいで広場」という名称により相応しいのはこちらかもしれませんね。 この広場の正面は荒川車庫前停留所となってますので、便利です。週末には都電に乗り、昔の都電をたずねてみてはいかがでしょう。
【週刊ノリスケ】 本物の貨物電車を見に行きました
鉄道車両は、都市部を中心に「電車」と呼ばれています。しかし、本来「電車」とは、お客や荷物を乗せる車体の床下にある電気モーターで走る鉄道車両のことです。ですから、お客や荷物が積めない機関車が引っ張るブルートレインや貨物列車、それにエンジンで走るディーゼルカーなどは「電車」ではありません。ところが、貨物列車のなかには「貨物電車」と呼ばれる珍しい列車があります。それが、この写真の「スーパーレールカーゴ」で、佐川急便の貸切列車として東京~大阪を毎日一往復しています。 正式にはM250系電車と呼ばれるこの車両は、所要時間を短縮する事で宅配便などの小口貨物輸送での競争力を高めることを目的に開発されました。電車とすることで、機関車方式では110km/hであった最高速度を130km/hまで引き上げ、曲線通過速度も向上しています。これにより、東海道新幹線開通前に東京~大阪間を走っていた「こだま」や「つばめ」などの電車特急の所要時間が6時間30分だったのに対し、6時間15分前後で走っています。 運転を開始したのは、2004年3月で5年以上走っていますが、その姿を見たことがある人は意外と少ないかもしれません。それというのも貨物列車の宿命で、走るのは夜中から早朝、昼間は人目につきにくい貨物駅で昼寝をしているからです。現在の列車ダイヤは、下りが東京貨物ターミナル発23時14分、大阪の安治川口着5時26分、上りが安治川口発23時3分、東京貨物ターミナル着5時20分です。東京貨物ターミナルは羽田空港北方の大井にある貨物駅で、ここを出ると横浜市西部の東戸塚までの大半が東海道本線とは離れた場所にある貨物線を通りますので、なかなか見る事はできません。終着の安治川口はユニバーサルスタジオジャパンの近くにある桜島線の駅で、大阪市内の貨物のターミナルの一つです。新大阪~大阪間で淀川を渡ると大阪駅へ向う線路から離れ、梅田貨物駅を通って福島駅で大阪環状線と合流します。これは新大阪を通って京都と関西空港を結ぶ特急「はるか」と同じルートです。 冬には暗い時間帯にしか走りませんが、夏至の頃なら東京や大阪の近くで撮影ができる明るさになります。この写真は、東海道本線岸辺駅を通過中のシーンで、写真をクリックして拡大すると時計が5時10分頃を指しているのがわかると思います。岸辺は駅前にビジネスホテルがある上に、広いコインパーキングもあるので、電車が動き出す時刻より前に行くのが便利なので貨物電車見学に向いているのです。この時間帯の列車って、意識して出かけないとなかなか見ることができませんね。
【週刊ノリスケ】 青い京浜急行に乗りました
京浜急行は、山手線南部にある品川から横浜経由で三浦半島を結ぶ私鉄です。「赤い電車」というテーマソングがあるくらい、赤い塗色の電車として知られています。品川の一つ北にある泉岳寺から都営地下鉄浅草線に乗り入れ、千葉県に至る京成電鉄まで直通運転を行っています。また、1998年からは空港線が羽田空港の旅客ターミナル地下に乗り入れるようになりました。これにより、空港アクセスの一翼を担うことになり、都心や横浜方面から羽田空港への足となっただけでなく、成田空港との連絡路線としても活用されています。羽田空港のアクセスには東京モノレールが知られていましたが、ターミナルビルに直結したことで京浜急行も知名度を大きく上げました。空港線の大部分の列車は、快特・特急・急行として品川や横浜方面と直通運転を行っており、空港アクセスに威力を発揮しています。 この赤い電車の京浜急行で、青い電車が2編成だけあります。それが、2005年に登場した「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」です。青い色は、「羽田空港の空」と「三浦半島の海」をイメージしたものだそうです。主に泉岳寺~三崎口間の快特で使われる2100形と大師線を除く京急全線のみならず都営浅草線や京成電鉄・北総鉄道にも乗り入れる600形にそれぞれ1編成だけですので、特にこの写真の600形「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」には簡単には出会えません。 走り始めて4年にもなりますので、筆者自身は何回か見ていますが、塗色の由来である羽田空港に向う電車で使われていたのは初めてでした。実は、この日は京急久里浜から羽田空港に向ったのですが、京急久里浜で2100形の「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」を見ていたのです。半日の間に、この特別塗装がイメージした場所で2編成共見ることができるとは「なかなか運がよい」と思ったのですが、どうも見るだけで運を使い果たしていたようで、その後は特に良いことはありませんでした。 「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」がどの列車に使われるかは、京浜急行のホームページに2100形の当日と翌日の予定が掲載されるほか、600形の当日の予定は「京急ご案内センター」で判るそうです。でも、偶然を期待して京浜急行に乗る方が運試しのようで楽しいですね。
【週刊ノリスケ】 日本一のロープウェイ!
「日本一の○○」というキャッチフレーズは、いろいろとありますね。鉄道なら「日本一長いトンネル」とか「日本一速い特急」など同じ日本一でもさまざまです。さて、この写真にも日本一が写っているんです。 この白い鉄塔が、ロープウェイの支柱では日本一の高さなのです。場所は、三重県にある御在所ロープウエイ、高さは61mです。はるか上空を通過することがあるロープウェイですが、支柱の位置は地形を生かして決められるので、意外と高い支柱は少ないのです。この支柱にしても地形を生かしているので61mで済んでますが、地上からロープウェイの客車までの高さはもっと高い位置を通るのです。 元々は他の支柱と共に緑色だったそうですが、この支柱だけ白色に塗り替えられ、御在所岳のシンボルとして親しまれています。四日市市内からでも見え、近鉄名古屋線の電車や東名阪自動車道を走る車でも見ることができ、ロープウェイの存在を知らしめています。 ロープウェイというと、大型の客車2台が井戸の釣瓶(つるべ)のようにロープでつながれて交互に上下する「交走式」というシステムを採用した施設が多いですね。しかし、この御在所ロープウエイは、鉄道のレールにあたる“支索”と呼ばれる太いロープにぶら下がった何台もの小型の客車が、“曳索”と呼ばれるやや細いロープに引っ張られて移動する「複線自動循環式」というシステムを採用しています。同じシステムを採用するロープウェイは、全国にありましたが、大半が違う方式に変わってしまい、今ではここと広島県の宮島ロープウエーだけになってしまいました。よく似たシステムに、吊るすロープも動かすロープも兼用とした“支曳索”を用いるロープを1本だけ使う「単線自動循環式」があります。この方式は、ロープウェイというよりも「ゴンドラ」と呼ばれる事が多く、スキー場を中心に多数導入されています。しかし、この御在所ロープウエイのような険しい地形で支柱の間隔が広い路線には採用できないのです。 1959年4月29日開業した御在所ロープウエイは、今年で50周年を迎えました。その記念行事として「ロープウェイ博物館」という展示を始めています。山麓駅には、同社の昔の乗車券などが展示され、山頂駅ではロープウェイの仕組みの解説や、いろいろな「ロープウェイの日本一」が発表されています。 梅雨が明けると高い山の上が心地よい季節です。機会があれば御在所ロープウエイに乗りに行くのも楽しいのでないでしょうか。 ※一般的にはロープウェイまたはロープウェーですが、御在所ロープウエイでは「エ」が大きい表記を正式としていますので、会社名などでは「エ」としています。
【週刊ノリスケ】 頑張れ宇高航路!
瀬戸大橋が開通する前、鉄道を利用して四国に渡るメインルートは宇野~高松間の宇高連絡船でした。山陽新幹線が岡山で開通すると、接続する宇野線の快速が1時間ごとに走り、連絡船もそれに接続して1時間ごとに出港していました。航海時間も1時間で、穏やかな瀬戸内海の航路ですから、ほとんど揺れはなく、四国への旅のアクセントという感じでした。名物はなんといっても甲板にあった讃岐うどんのスタンドで、食事どきでなくても、なぜか自然に足が向いたものです。 国鉄が連絡船を運航していた時代から、宇野~高松間にはカーフェリーが3社も運航され、それぞれ宇高国道フェリー、四国フェリー、本四フェリーという名称で競争していました。 宇高連絡船と共に国鉄の代表的航路だった青函連絡船も並行するカーフェリーが複数あり、青函連絡船亡き後も運航されています。しかし、青森港も函館港も青森駅、函館駅とは離れた場所にあり、連絡船を懐かしむ雰囲気ではないのです。 しかし、宇高航路は違います。宇野港も高松港も駅が近く、実際、事故などで瀬戸大橋線が不通になると、宇野線とフェリーが振替輸送を行うこともあります。宇野港も高松港も連絡船が使っていた岸壁は埋め立てられ様子が変わりましたが、それでも駅の近くから船が出る光景は、連絡船時代を思い出します。 先に3社が競合していると書きましたが、実は本四フェリーの津国汽船は宇高航路から撤退してしまいました。すでに数年前から四国フェリーとの共同運航となり、実質的に2社競合状態だったのですが、今年の3月一杯で津国汽船が撤退してしまい、正真正銘の2社競合となったわけです。 この写真が残った2社の船で、手前が宇高国道フェリー、奥が四国フェリーです。宇高連絡船に親しんだ世代ですと「宇高」は「うこう」と読みたくなりますが、実は以前からカーフェリーのほうは「うたか」と読ませていました。 瀬戸大橋の自動車通行料金は、さまざまな割引の導入でフェリー利用が次第に減っていたのですが、特にこの春から導入された乗用車の休日1000円などのETC大幅割引はかなりの影響を与えているようです。快速「マリンライナー」も快適ですが、たまには船で渡るのも楽しいものです。カーフェリー船内にも讃岐うどんがありますよ。
【週刊ノリスケ】 南海電鉄高野線に「天空」登場
南海電鉄高野線は、大阪の難波と真言宗総本山の金剛峰寺がある高野山を結ぶ路線です。終点の極楽橋でケーブルカーに乗り換え、高野山に登ります。大阪府内は住宅地が広がる中を走る通勤線区ですが、和歌山県となる橋本~極楽橋間は、最急勾配50‰で急カーブが続く、国内でも屈指の山岳鉄道路線です。 “‰”という単位は「パーミル」と読み、千分率を表します。「上り50‰の勾配」というのは1000m進むと50m高くなる上り坂という意味になります。これは鉄道としてはかなりの急勾配となります。そのため、難波から極楽橋まで直通の電車などでは、この区間に備えた急カーブや急勾配に対応している電車を使っています。 このように条件の厳しい区間である反面、山深いことが実感できる車窓風景は、見ごたえがあります。そこに注目した南海電鉄では“展望デッキ付列車「天空」”を橋本~極楽橋間に登場させました。この電車は、以前は難波~極楽橋間を直通する急行などに使われ、今は支線で活躍している2200系電車を改造したものです。この写真のように、外側に向いた座席とした上、窓は大型化されました。さらに、オープンエアの展望デッキもあります。 正式デビューは7月3日ですが、4月29日からプレ運行が開始されています。今後予定されているプレ運行は、6月7・13・14・20日です。乗車するには乗車券のほかに大人500円、小人250円の座席指定券が必要で、10日前から前日まで電話予約を受け付けています。空席があれば当日の申し込みでも乗車可能だそうです。正式運行開始後は、3~11月の水・木曜日を除く毎日と12~2月の土曜・休日だそうです。 通常の電車でも乗り応えがある区間ですから、この「天空」に乗れば魅力倍増です。高野山に行かれる機会があれば、利用されてはいかがでしょう。
【週刊ノリスケ】 懐かしの国電スタイルで走ってます
国鉄がJRとなって22年、国電という言葉もすっかり死語になりました。国電とは、首都圏や大阪圏の国鉄線を走っていた通勤電車の呼び名で、主に各駅停車を指していましたが中央線などでは快速も国電と呼ばれました。首都圏では山手線や京浜東北線、大阪圏では大阪環状線や東海道・山陽本線各駅停車などが代表的な国電でした。今でも国電と呼ばれた路線は健在ですが、JRとなってから登場した電車が増え、国電と呼ばれた時代の面影を残す電車を首都圏のJR線で見かける事もめっきり減りました。 しかし、埼玉県北部を東西に結ぶ秩父鉄道には、懐かしの国電スタイルで走る電車があります。同社では、国電用として多く使われた国鉄101系電車を36両購入し、1000系電車と形式を改め主力電車としました。導入にあたって、同社オリジナル塗装に塗り替えられたので、国電時代とは異なった印象でした。ところが、同じ埼玉県内に鉄道博物館がオープンしたことを記念して、一部の車両を国電時代の塗装に塗り直しました。 この写真に写るオレンジ色の1000系は、国電塗装の第1号として2007年7月に登場した編成です。国鉄101系電車は、国電の線区別カラーの先駆けとしてオレンジ色に塗られ、中央線でデビューしました。その当時の装いの復元というわけです。 秩父鉄道では、引き続いて京浜東北線のスカイブルー、総武・中央緩行線のカナリヤイエロー、山手線をイメージしたウグイス色の1000系を登場させ4編成の国電スタイルの電車が走っていることになります。 このうち、スカイブルーの101系も実在しましたが、少数が短期間存在しただけで、スカイブルーの国電の大多数は103系電車でした。ただ、101系と103系はよく似てますので、イメージとしては十分です。ウグイス色の101系も、関西本線では走っていましたが、山手線で走ったことはありません。山手線はウグイス色の103系でした。実は秩父鉄道でも関西本線の塗装を採用しており、特徴である前面にあるカナリアイエローの太帯も復元しています。 秩父鉄道といえば、SL「パレオエクスプレス」が有名です。そればかりでなく私鉄では珍しい電気機関車の引っ張る貨物列車も多数走ります。さらに、開業110周年を記念して、以前の同社標準塗装だった、はだ色とあずき色に塗り替えた1000系が走り始めたはずです。また、今年11月には1000系が同社でデビューした当時の塗装に改めた編成も登場するそうです。電車ウオッチもますます楽しめそうですね。 ただ、この1000系は東急8500系を購入した7000系に、順次置き換える事がすでに決まっていますので、早めにご訪問された方がよいかもしれません。
【週刊ノリスケ】 鉄道に一番近いエレベーター
エレベーターといえば無料で利用できるのが当たり前ですが、まれに有料エレベーターもあります。有名なものは華厳滝(けごんのたき)エレベーターでしょう。日本三大名瀑の一つである日光の華厳滝を見物する場所は幾つかありますが、一番迫力があるのは、このエレベーターで降りた滝つぼに近い観瀑台から見学した光景でしょう。 すでに利用経験がある人ならお感じのことと思いますが、このエレベーターはまさに鉄道風の運営がなされています。 まずは地上にある乗り場の建物がまるで駅舎です。この写真の通り、有名寺社の近くにある鉄道駅でよく見かける寺社風の外観です。そして窓口で買うきっぷは、「乗車券」ならぬ「昇降券」です。つまり、滝見物の展望台への入場料ではなく、あくまでもエレベーターに乗るための料金のようです。エレベーター乗り場に足を進めると係員が待ち受ける場所はまるで改札口。一昔前の鉄道駅でよく見かけた金属製の柵で仕切られた「コ」の字型の一角です。「コ」の字型の内側に係員が立っていれば完璧でしたが、残念ながら柵の外で待機してました。係員のユニフォームも駅員風ですので、この「改札口」付近の光景を写真に撮り、「地方私鉄の駅だ」と見せると信じる人がいそうな雰囲気です。 さらに係員は、昇降券にパンチを入れて返してくれます。これも一昔前の鉄道風ですね。 なんでも華厳滝エレベーターは昭和5年の完成だそうですから、その時代から鉄道風の運営をしていたのでしょうね。 エレベーターではなく有料エスカレーターなら、江の島の「エスカー」が有名です。こちらも乗り場が寺社風の建物ですが、華厳滝に比べるとかなり小振りなので、駅舎のイメージは薄くなります。 鉄道好きなら、鉄道駅風の運営を体験するだけでもエレベーターに乗りに行く価値はありますよ。
【週刊ノリスケ】 駅レンタカーでJRをおトクに
おトクにJRに乗るには、いろいろ発売されている割引きっぷを利用する手があります。しかし、ほとんどの割引きっぷは発売区間が限られている場合が多く利用したい区間に用意されているとは限りません。また、行き先が大都市以外の場合、列車を降りてからの足に困ることが多いのが現実です。旅先での不便が嫌で、最初からマイカー旅行とする人も少なくないでしょう。 こういう時の強い味方が「駅レンタカー」です。これは、国鉄が始めたレンタカーチェーンで、現在ではJRグループが引き継いでいます。最大の特徴は、原則として営業所が駅構内や駅前など鉄道利用者に便利な場所にある事と、鉄道と連携した割引きっぷ「レール&レンタカー」がある事です。 営業所の数で言えば、駅レンタカーよりも多いレンタカー会社はたくさんあり、駅前営業所も多く見かけます。しかし、同じ駅で駅レンタカーよりも便利な場所に他のレンタカー会社の営業所があることはまずありません。その上、なによりも魅力的なのはJRも割引になる「レール&レンタカー」です。これは、レンタカーの定員内なら、同一行程の同行者も含めて運賃が2割引、特急料金やグリーン料金、B寝台料金が1割引になるきっぷです。発売の条件は,JR線を201km以上利用することと、そのうち最初にレンタカーを利用する駅までは最短距離が51km以上である事です。個室や「のぞみ」は対象外とか運賃・料金が無割引となる期間があるなどの制約もありますが、出発駅に戻る必要はありませんし、経路を自由に選べるのが便利です。さらに駅の「みどりの窓口」でレンタカーの予約も含めて手軽に購入できるのも魅力です。 昨年12月21日付の記事で「トワイライトエクスプレス」に札幌から大阪まで乗った話を書きましたが、実は「レール&レンタカー」を利用しています。この時の往路は飛行機利用で新千歳空港に着き、復路が列車だったのです。そこで、新千歳から小樽までJRを利用し、小樽で駅レンタカーを利用、小樽から大阪までの乗車券も「レール&レンタカー」でした。個室利用でしたので「トワイライトエクスプレス」の特急料金と個室寝台料金は無割引ですが、乗車券は2割引です。私の場合は1人でしたが、もしも同行者がいたら、運賃の割引分でレンタカーを借りたような計算になります。 駅からの交通手段が不便で、タクシーを使うならば「レール&レンタカー」の方が、安くて便利なケースも多そうです。マイカーなら諦めないとならない「復路での一杯」に魅力を感じる人も多いでしょう。鉄道と車の双方の便利さを活用できる上でおトクな「レール&レンタカー」はお勧めです。
【週刊ノリスケ】 リバイバルカラーで走る都電
全盛期には都内に多くの路線があった都電も、その大半が廃止され、今では1路線が残るのみです。一度は都電全廃の方針が示され、道路上に敷設された区間がほとんどない王子電気軌道が建設した区間の一部が暫定的に残されたという状況になりました。しかし、1973年に都議会で残った区間を恒久的に存続させることが決定され、翌1974年に荒川線という愛称が付けられました。さらに、経営内容の改善とサービス向上のために1977年から車両の更新が始まり、ワンマン化対応などが行われました。 車両更新は、イベント用に残された旧形車6000形6両を除く7000形と7500形が対象となりました。中でも7000形は、車体を新造して交換していますので改造という名目になっていますが、中古部品を活用した新車と呼べるほどの大規模更新でした。 この時に更新を受けた車両は、それまで黄色に赤帯という塗装を黄色に青帯と変更しています。その後、都バスと共通のクリーム色と黄緑のツートンカラーに改められましたが、この写真の7022号は2005年に車体更新当時の塗装を復元しています。 都電というと時代遅れのイメージを持つ人や「懐かしい」という感覚の人も少なくないと思います。しかし、この荒川線はけっこう先進的なのです。前述のように、元から路上を走る区間は一部に限られていました。路面区間は機会があるたびに縮小された結果、今では実質的に王子駅前~飛鳥山間の約400mのみになっています。さらに前述のワンマン化対応の更新時には、停留場ホームのかさ上げを行ってドアのステップを廃止しています。扉の幅も車椅子での利用を考慮して決められました。今でこそ、ノンステップバスや超低床路面電車が登場し、交通バリアフリー法の制定もあって、車椅子での乗車対策が義務付けられますが、このような対応がまだまだ少なかった1970年代に現在にも通じるバリアフリー対策が取られていたのはきわめて先進的でした。 この4月26日から、従来の車両に比べてより一層の省エネを進めた新形車8800形も走り出したそうです。まだまだ進化する都電に期待したいですね。
【週刊ノリスケ】 初のJR形特急用ディーゼルカー「ひだ」
先週、キハ181系国鉄形特急用ディーゼルカーの引退決定を取り上げましたので、今週はJRグループとなってから登場した新形特急用ディーゼルカーの第一号であるキハ85系を紹介しましょう。 キハ85系は、1988年からJR東海が製造したディーゼルカーで、1989年2月から高山本線の特急「ひだ」で使用を開始しました。以前の同列車はキハ80系が使われていましたが、1990年3月には全列車のキハ85系への置換えが完了しています。同時に行われた線路改良工事の成果も手伝い、名古屋~高山間の所要時間は、30分以上短縮されました。 実は、国鉄時代の1980年に高山本線の全線電化工事が着工されましたが、国鉄の経営悪化により実質的に中断されたままJR化を迎えました。このキハ85系の開発には、電車並みの性能を持つディーゼルカーを投入することで電化工事の代わりとする意図があったようです。そのため、1両あたり出力350PSのエンジンを2台搭載し、1両あたり180PSのエンジンを1~2台搭載したキハ80系の倍以上の馬力を持つことになりました。この出力向上のため、国産ディーゼルエンジンよりも軽量・高出力である米国カミンズ社のエンジンを採用しています。その後、同社のエンジンはJR東日本とJR東海で多数採用されることになりました。 「国鉄のディーゼルカーは非力で、エンジンの音ばかり大きくて加速は鈍い」などと言われ、それはキハ80系の強力版と言われたキハ181系でも似たようなものでした。この点、キハ85系の加速や高速性能は別次元で、筆者が初めて乗ったときには驚いたものです。 車内は窓が大きくなり、座席の位置を高くすることで眺めがよくなりました。高山や下呂などへの観光路線で、沿線に景勝地が多い高山本線を走るのに相応しい設備としたわけです。座席の床は通路から20センチも高く、肘掛に肘をかけると窓の高さになります。このため、視界が広く開放的な印象を受けます。 さらに大規模な改造を行ってまでバリアフリー化を進めたことも、特筆すべきでしょう。交通バリアフリー法で、トイレ付き新造車両では、列車内に1ヶ所は車椅子ごと入る事ができるトイレにすることが義務付けられました。しかし、キハ85系の登場当時は、体が不自由な人への配慮は今に比べるとまだまだ不十分で、車椅子のままで入れるトイレなど新幹線以外では皆無というような状態でした。そこで2003年から車椅子利用者を念頭においた改造を行っています。客室内の車椅子利用者用スペースでは、前述の高床化を止めて通路との段差を無くし、トイレと洗面所は大改造をして車椅子のままで利用を可能としています。さらに、広くなったトイレ内には、おむつ交換台やベビーチェアも装備されたため、幼児連れの利用者にも優しい車両となっています。 キハ85系は、この写真の特急「(ワイドビュー)ひだ」だけでなく、今年全通50年を迎える紀勢本線を走る特急「(ワイドビュー)南紀」でも使われています。先週、「国鉄時代の車両が引退するのは感慨深い」と書きながら、キハ85系の魅力を語るのは我ながら節操がないと思いますが、それだけ魅力的で快適な車両であるということです。
【週刊ノリスケ】 引退決定が発表された国鉄形特急用ディーゼルカー
3月26日に行われたJR西日本の定例社長会見で、同社がキハ181系特急用ディーゼルカーで運転している特急「はまかぜ」用に新形車両を投入する事が発表されました。新形車両の営業開始は、2011年春を予定しているそうです。キハ181系を使う定期列車は「はまかぜ」のみで、他には団体列車や臨時列車にも使われているだけです。これらがどうなるかの発表はありませんでしたが、あと2年ほどでキハ181系が引退してしまうと考える方が自然でしょう。 写真は、このキハ181系で運転する特急「はまかぜ」です。同車両の塗装変更を行っている時期に撮影したので、前寄り2両が新製時と同じ国鉄特急色、後寄り2両が現在使われているJR西日本特急色となっています。レールファンの間では、国鉄特急色の人気が高いです。皆さんの中にも「こちらの方が懐かしい」とか「馴染みがある」と言われる方もいらっしゃるかと思います。 キハ181系は、国鉄の初代特急用ディーゼルカーであるキハ80系の強力版として登場しましたので、外観はよく似てます。しかしエンジンはまったく異なり、1両あたり180PSのエンジンを1~2台積むキハ80系に対し、キハ181系では1両あたり500PSのエンジンを1台積んでます。これにより、キハ181系は、これまでディーゼル特急の運転が難しかった山岳線区や、高速な特急電車と一緒に走るために高速性能が要求される列車として投入されました。 電化の進展などにより、国鉄の末期には山陰と四国で使われるようになり、JR化の際には、そのままJR四国とJR西日本が引き継ぎました。その後、JR四国では新形の2000系特急用ディーゼルカーに置き換わり、山陰中西部でもやはり新形のキハ187系特急用ディーゼルカーに置き換えられています。この結果、キハ181系で現在も走っているのは大阪と但馬地方を播但線経由で結ぶ特急「はまかぜ」となったわけです。 今も残る国鉄時代に誕生した特急用ディーゼルカーには、キハ183系とキハ185系もありますが、どちらも国鉄時代が短かった上、JRとなってから大幅に改造されて国鉄の車両という印象が薄いのです。というわけで、キハ181系引退決定というニュースには、国鉄がさらに過去のものになったという意味で、感慨深いものがあります。
【週刊ノリスケ】 新幹線の車内でもネット接続
東海道・山陽新幹線の最新形電車は、N700系というタイプです。時刻表の注釈に「N700系で運転」と明記されていますし、ダイヤ改正を知らせるJR東海やJR西日本のリリースではN700系使用列車が増えることにも触れるなど、目玉商品として売り込んでいる車両です。 これまでの車両と比べると、JR東海の所有する車両で初めて山陽新幹線での最高速度が300km/hになったとか、山陽新幹線に比べて急カーブが多い東海道新幹線で、カーブの通過速度を向上させたなどさまざまな特徴があります。こういった速度向上は、実はまだ一部の列車で生かすにとどまっているのですが、今年3月14日に行われたダイヤ改正から、N700系に搭載された新機能を使ったサービスが開始されました。それは公衆無線LANを使用したインターネット接続サービスです。インターネット接続サービスは東京~新大阪間を走る全てのN700系で提供されています。サービス開始から1ヶ月あまり、ようやく利用する機会に恵まれましたので紹介します。 まずは、N700系車内のノートパソコンです。この写真では接続していませんが、この車両の特徴であるコンセントも下方に写ってます。インターネット接続を利用するには、このような無線LAN機能があるノートパソコンなどの端末、そしてあらかじめ公衆無線LANの使用契約を結んでおくことが必要です。多くのインターネット接続プロバイダーは、提携する公衆無線LANサービスが利用できるオプションを用意しています。この提携先が、東海道新幹線内をサービスエリアに含んでいれば使えるわけです。あるいは、公衆無線LANサービスと直接契約する手段もあります。 「@nifty」と「au one net」に契約している筆者の場合、前者を利用するなら公衆無線LANの利用料金は8.4円/分の従量制、後者では月額1,575円の定額制となります。約3時間以上使うならば後者が得ですが、そこまで公衆無線LANを使う予定はないので、NTTコミュニケーションズが提供する「HOT SPOT」の“1DAY PASSPORT”を利用しました。これは、使用開始から24時間有効のIDを500円で購入するサービスです。500円といえば、従量制の約1時間分ですから、新幹線利用時に向いたサービスです。月に何回も東海道新幹線を利用し、公衆無線LANはその時にしか使わないなら、同社の定額サービス「ホットスポット・エクスプレス」(819円/月)がお得でしょう。なお、ソフトバンクテレコムが提供する「BBモバイルポイント」では、プリペイドID(1日500円、14日間1000円、90日間4000円)というサービスがあります。 メールチェックぐらいなら従量制の利用で十分でしょうが、移動時間にインターネットを利用してじっくりと調べるならば定額制のサービスを活用したいですね。 さて、実際に使ってみるとブロードバンドとしては遅めに感じます。と言ってもストレスを感じるほどではなく、実用的な速度だと言えるでしょう。通信速度の理論値は最大2Mbpsだそうですから、初期のADSL接続サービス並みです。いろいろなホームページを見ていたら、東京から新大阪までの2時間半はあっという間でした。
【週刊ノリスケ】 今も現役、3段式寝台の夜行列車
ある年代から上の人なら、B寝台といえば3段式が当たり前というイメージをお持ちの方もまだ多いと思います。実は筆者もその一人ですが、2段式B寝台が登場したのは1974年4月で、今から35年も前になるのですね。 その後、3段式B寝台車の廃車や2段式への改造が進み、3段式B寝台を見かける機会はめっきり減りました。それどころか、この春に話題となったとおり夜行列車の運転自体が少なくなっています。今では寝台車という車種が珍しくなり、ましてや3段式寝台車ともなれば夜行列車の最盛期を伝える生き証人といえます。 この貴重な寝台車を連結している列車が、今でも毎日走っています。それは、大阪~新潟間を走る急行「きたぐに」です。1967年に登場した581系特急寝台電車と同等の設備を備えて、翌1968年に登場した583系特急寝台電車の車両を使用しています。特急用として登場した車両ですが、現在では特急に使われる機会は少なく、定期列車ではこの急行「きたぐに」が唯一の使用列車になります。 581/583系電車は昼夜兼用の車両として、座席特急としても寝台特急としても優れた居住性を持つように開発されました。特に寝台は、登場当時のブルートレインなどの寝台客車が各段共に寝台幅52cmであったのに対し、下段106cm、中上段70cmと広くなったため人気を集めました。また、電車ですので客車のブルートレインよりも俊足で、北は青森から南は西鹿児島まで、まさに東奔西走の活躍でした。夜行特急では「はくつる」「ゆうづる」「金星」「きりしま」「明星」「月光」など、昼行特急では「はつかり」「つばめ」「有明」などが使用していた代表的な特急です。 その後、寝台客車の寝台幅が各段共に70cmとなり、3段式から2段式に変更されると電車寝台の魅力は薄れました。3段式の客車の一部は2段式に改造されましたが、電車寝台では大掛かりな改造となるため、B寝台のまま2段式とする改造は見送られました。 しかし、前述のように元来は特急用であったので、団体用や急行として使用するならば、まだまだ十分な居住性があり、「きたぐに」のように座席車と寝台車の双方を連結するための列車に向いています。 その電車B寝台の上段がこの写真です。この天井の低い空間でも快適性を感じていたのが、日本の寝台列車黄金期だったわけです。実は、その時代に主力だった客車の寝台車は、これよりもさらに狭い横幅52cmのベッドでした。多くのビジネスマンが、この空間で横たわって東奔西走していた高度成長時代が、寝台車の黄金期でもありました。そんな時代を思い浮かべながら「きたぐに」のB寝台を利用されると、当時の価値感を体感できるよい機会になりそうです。
【週刊ノリスケ】 再来年の「さくら」が待ち遠しい
日本の春と言えば「桜」ですね。これまでのところ、今年の桜開花は例年に比べて早かったようですが、皆さんの地元ではいかがでしょうか? 北日本では、これから咲くという場所が多いのでしょうね。 さて、「来年の話をすると鬼が笑う」などと言われますが、来年どころか再来年春の「さくら」が気になっている人も多いでしょう。むろん、花の桜ではなく列車の「さくら」です。 去る2月26日にJR西日本とJR九州は、2011年春と見込まれる九州新幹線鹿児島ルート全通時に新大阪~鹿児島中央間で運転する列車の愛称を「さくら」とすると発表しました。鹿児島から関西までの列車には、日本列島を南から北へ上っていく桜前線のイメージに重なりますね。 「さくら」というと、2005年2月まで東京と長崎を結んでいた寝台特急を思い浮かべる人も多いでしょう。東京~長崎間を走っていた寝台特急「平和」を改称し、1959年に「さくら」となってから45年あまりに渡って親しまれました。 そもそも「さくら」という列車名は、1929年に東京~下関で運行されていた3等特急の愛称として公募によって名付けられた「櫻」が発祥とされています。同時に同区間の1・2等特急は「富士」と命名されています。その後、1942年の関門トンネル開通に伴い両特急は九州に足を伸ばしますが、「富士」は長崎までの特急となったのに対し「櫻」は鹿児島まで延長されたものの急行に格下げされ、愛称もなくなりました。今回の鹿児島中央に直通列車への「さくら」起用決定は、「さくら」にとって69年ぶりの悲願達成ともいえそうです。 写真は、「さくら」に使われる予定のN700系7000番台です。同車は、試作的性格をもって先行製作された編成ですので、営業運転を始める頃には「さくら」という愛称に相応しい装飾がなされるのかもしれません。どういう姿で走り出すか楽しみですね。
【週刊ノリスケ】 阪神の悲願“阪神なんば線”開業
去る3月20日、「阪神なんば線」が開業しました。大阪市西部にある阪神電鉄「西大阪線」を南東に延長して近鉄と接続する新路線で、旧西大阪線部分を含む尼崎~大阪難波(近鉄難波を改称)を一体にして命名されています。これにより、大阪市中心部から東方に向かい奈良と結ぶ近鉄「奈良線」との相互直通運転が始まりました。 京成と京急、東武と東急のように地下鉄を介した大手私鉄同士の直通運転は先例がありますが、大手私鉄同士が直結しての相互直通運転は珍しい事例です。おそらく、半世紀以上前に名古屋駅にあった近鉄と名鉄の連絡線を使って、直通臨時電車を運転して以来のことではないでしょうか。 写真は、旧西大阪線区間を走る近鉄電車です。これまで、近鉄に比べてやや小ぶりな阪神の電車が4両編成で走っていた区間を6~8両編成で走るわけですから、大きな変化を感じます。 このように規格が異なる車両を使う相互直通運転も、通勤線区では珍しい事例です。阪神電車は1両の長さが約19mである一方、近鉄電車は約21mとなっています。そのため1両あたりの扉の数は、阪神が片側3ヵ所、近鉄は片側4ヵ所となっています。この結果、同じ6両編成でも、全体の長さは約12m違い、扉の数は18ヵ所と24ヵ所となります。これに対応するためにホームの扉位置の案内は2種類表示され、ホームの発車時刻表や駅で配布されるポケット時刻表には阪神電車か近鉄電車かが記されています。 阪神なんば線の目玉商品は、神戸の三宮と近鉄奈良を結ぶ「快速急行」です。それ以外に、阪神側の尼崎を起終点する列車も多く走ります。近鉄側は東花園、大和西大寺、近鉄奈良などを起終点としています。阪神なんば線内は各駅停車でも、近鉄線内では準急や区間準急などになる列車もあります。快速急行は平日昼間を除くと、旧西大阪線の中間駅には停まりません。これは、それらの駅には6両分しかホームがないためです。さらに阪神本線の駅は、西宮を除くと6両分のホームしかないため、8両や10両編成で運転される快速急行は、尼崎で2両ないしは4両を切り離して三宮に向い、増結して近鉄奈良に向かいます。 これで阪神は、キタと呼ばれる梅田付近とミナミと呼ばれる難波付近の大阪二大繁華街に直通する事になります。また近鉄では、奈良や伊勢志摩など自社エリアの観光地への集客力が高まると期待しているようです。このため阪神三宮に近鉄の特急券売場を新設し、大阪難波のホームには特急券自動販売機を設置しています。 ところで、野球がお好きな方は、オリックスバファローズの本拠地で阪神タイガースの試合も行われる「大阪ドーム」と、タイガースの本拠地「甲子園球場」が直結されることが気になる人も多いのではないでしょうか。阪神タイガースと阪急ブレーブスが日本シリーズで対決するという、かんべむさし氏の「決戦!日本シリーズ」という小説が1974年に発表されています。この中でブレーブスの本拠地が西宮北口にあった西宮球場であったことから、両球団の対決を「今津線シリーズ」と呼ぶという設定がありました。これにならって「なんば線シリーズ」の実現を期待するプロ野球ファンもいらっしゃるでしょう。 新しい人の流れを生みそうな阪神なんば線の将来が楽しみです。
【週刊ノリスケ】 在来線最高速度が130km/hとなって20年!
今から20年前になる1989年3月11日、JRグループでは全国でダイヤ改正を行いました。この写真の特急「スーパーひたち」登場のように、JRになってほぼ2年が経った成果が反映されたダイヤ改正となりました。 JRとなってから開発された特急用電車651系が常磐線でデビューするにあたり、従来の特急「ひたち」の一部を格上げして「スーパーひたち」と名付けました。最大の目玉は最高速度が130km/hに引き上げられた事です。 新幹線を除いた国内の鉄道では、これまで、1968年10月から国鉄主要幹線で開始された最高速度120km/hが最速でした。「スーパーひたち」と同時に登場した特急「スーパー雷鳥」も最高速度130km/hを達成しました。実に20年以上経って最高速度が向上したことになります。ただし、「スーパー雷鳥」の速度向上は湖西線と北陸トンネル内のみで、これは「600m以内に停車できないとならない」という法令の規程を特例で緩和しての達成でした。その後も青函トンネル内の140km/h運転、北越急行線内の160km/hという130km/h以上の最高速度が実現していますが、すべて「600m以内に停車」という規程はクリアしておらず、踏切がないなどの特殊な線路条件を踏まえての特例措置を受けたものです。特例を受けずに実現した最高速度は、依然として130km/hです。 このことから、いまや全国各地で行われる最高速度130km/h運転の元祖が、この「スーパーひたち」といえるでしょう。ところが、651系よりも早い1988年2月から営業運転を開始した、JR九州の特急用電車783系も130km/h運転が可能な性能を持っていました。しかし、地上設備の準備が整わなかったので、130km/h運転開始は1990年3月と遅れてしまいました。JR九州は惜しくも元祖の地位になり損ねたわけです。 いまや最高速度130km/hで運転する特急は、JR各社に多数あります。JR北海道/四国/九州は主要特急がそうですし、JR東日本はミニ新幹線や中央東線の特急などが最高速度130km/hです。さらに、JR東海の「(ワイドビュー)しなの」、JR西日本の「サンダーバード」「オーシャンアロー」「スーパーはくと」なども最高速度が130km/hです。さらには、常磐線の特別快速、東海道・山陽本線の新快速なども最高速度130km/hです。 今では、先に書いた「600m以内に停車」という規則は、法令上は緩和されています。しかし、信号や踏切などの安全運行に必要なシステムが、これを前提に作られていますので、法令が変わったからといっても簡単に変えることはできません。当面は、130km/hを超える最高速度の列車は少数派になりそうです。
【週刊ノリスケ】 幻の鉄路…今も残る夢の跡
今週の金曜日…3月20日には、大阪市内で西九条と近鉄難波を結ぶ阪神なんば線が開通します。実は阪神では、昭和34年2月に千鳥橋~難波の鉄道事業免許を受けてますので、同線は半世紀ぶりに実現した悲願です。 時間がかかってもこのように実現すればよいのですが、全国には開通を諦めてしまった予定線も多くあります。日本の鉄道は、大正時代には多くの主要幹線が完成し、地域開発のためのローカル線に関心が集まってきました。1922年には、これまであった幹線を建設するための鉄道敷設法が廃止され、代わって全国に鉄道網を築く事を目的とする新たな鉄道敷設法が施行されます。これにより、全国各地で国によるローカル線建設が進められることになりました。戦後は、次第に国鉄の余力が乏しくなり、ローカル線建設が進まなくなったため、政府は1964年に新線建設のための日本鉄道建設公団を設立しました。このためローカル線の赤字が問題となる中で、新たなローカル線が建設されるという状況が生まれました。このようなやり方に批判がある一方、鉄道のない地域では新線への期待は大きく、新線の開通が待たれました。 さすがに国鉄末期になると、開業後の需要を既存線の廃止条件に当てはめて建設続行の可否が判断されることになり、廃止基準を下回る需要しか見込めない新線は、地元で運行会社を設立された区間以外の建設を中止する事になりました。さらに国鉄の民営化と共に鉄道敷設法は廃止され、法的にも国はローカル線を建設する根拠が無くなってしまいました。 このように計画されながら完成していない路線を、レールファンの間では「未成線」と呼びます。廃線跡の探索は鉄道趣味の分野として認知されてきましたが、未成線の探索という分野も最近では同好の士が増えてきました。特に着工の後に中止が決まった未成線は、廃線のように痕跡が明確に残っていることが多く探索に向いています。 このように着工しながら開業を諦めた路線の一つが、この写真の岩日北線です。同線は国鉄岩日線の延伸部分で、錦町から山口線日原までを結ぶ予定でした。しかし、岩日線が国鉄再建法による廃止対象となり第3セクター錦川鉄道となるような状況だったことから、延伸は断念され工事は中止となりました。岩日北線は、錦町から県境を越えた島根県六日町までを部分開業する予定だったらしく、この区間では写真のようにかなり工事が進んでいる場所が多く見られます。 日本鉄道建設公団が建設工事を担当した未成線は、比較的大規模な構造物が残っていることが多く、未成線探訪に不慣れな人でもわかりやすいです。ただ、すでに構造物を撤去した場所もありますので、興味がある人は早めに見学されたほうがよいでしょう。
【週刊ノリスケ】 JR直営航路は3月末まで
国鉄連絡船と言えば、北海道への主要幹線だった青森と函館を結ぶ青函連絡船、四国への主要幹線だった宇野と高松を結ぶ宇高連絡船が有名でした。このほかにも何航路かありましたが、この2航路の他では明治時代に山陽本線と共に山陽鉄道から引き継いだという長い歴史で知られる宮島連絡船も国鉄末期まで存続していました。 ここまでの内容は「国鉄連絡船の生き残り…宮島航路」と題して、2007年7月1日付けの週刊ノリスケで取り上げています。国鉄連絡船の生き残りは宮島航路のみですが、実は、JR九州が博多港と長崎オランダ村を結ぶ航路を開設し、船舶事業に乗り出しました。当初はJR九州が直営で行っていた船舶事業ですが、後に運行航路を博多~釜山の国際航路に変更しました。さらに、2005年にはJR九州高速船株式会社というJR九州の子会社を設立することで、関連会社の事業としました。この結果、再び宮島連絡船がJRグループ唯一の直営航路になったわけです。 しかし、JR西日本は2008年12月4日に宮島連絡船を運航する子会社を設立し、船舶事業を移管すると発表し、2月2日にJR西日本宮島フェリー株式会社を設立しました。このあと4月1日から宮島連絡船の運行をJR西日本から引き継ぐ予定です。これでJRグループが直営する航路は消えることになります。むろん航路自体は残り、これまで通り「青春18きっぷ」も使えるそうですが、直営でなくなると聞くと感慨深いものがあります。 写真は、3隻ある宮島連絡船のうち、唯一国鉄時代に建造された「ななうら丸」です。他の「みせん丸」「みやじま丸」は前後対称のスタイルで前後進自在という、このようなピストン運行の短距離航路に向いた合理的な船ですが、個人的には「ななうら丸」の方が船らしくて好きです。 実は、JR西日本の船舶事業は赤字部門でした。今回の分社化で収支が改善され、末永く国鉄連絡船の名残を伝え続けられることを期待したいですね。
【週刊ノリスケ】 札幌市電の除雪は
体調不良でしばらくお休みをいただいておりました 乗り物大好きライター_来住こと「ノリスケ」です。ご心配をおかけしましたが、今月より復帰させていただきます。 さて、3月となり春の気配を感じることも増えてきました。しかし、地域によってはしばらく冬の気候が続きます。特に北海道では、まだまだ雪が降る事も多いでしょう。 その北海道で路面電車が活躍する2つの都市、札幌と函館で除雪に活躍する車両がササラ電車です。除雪車両というと鉄道ではラッセル車、道路では除雪ドーザーやグレーダーが一般的です。これらの車は、積もった雪を鉄製の排雪板で押し退けるため、道路を傷つけてしまいがちです。一方、ササラ電車は竹を使って除雪するため、道路にやさしいのです。 写真の電車をみてください。前後の運転席下のところにブラシのようなものが見えますよね。これが「ササラ」と呼ばれるものです。竹を細かく割いたブルーム(ほうき)を放射状につけてグルグルと回します。竹ですから、道路にやさしいわけですね。乾燥した雪が多い北海道に向いている装置というわけです。 札幌市電に4両、函館市電には2両のササラ電車があり、雪が降ったときの市電の運行確保に努めているそうです。夜間に降雪があった場合の始発前に出動するのは元より、降雪が激しい場合には、日中でも営業電車の合間に運転されるそうです。実はこの写真を撮ったときは、そのような出動シーンを期待して1日中札幌市内に居たのですが、さほど激しい降雪にならず、写真のように車庫の中で待機しているものを撮影しました。ササラを回転させて雪を巻上げながら除雪作業を行う雄姿を見たかったのですが、こればかりは天気次第なので思うようにいかないですね。 降雪が激しい札幌や函館におでかけの機会があれば、ササラ電車の除雪作業を見ることが出来るかもしれません。
【週刊ノリスケ】 みぞ・ロープに注意!な踏切
右の写真は、一見ごく普通の踏切ですよね。でも、「踏切注意」の左側に赤い文字で「みぞ・ロープ」と書いてあります。あれ? と思ってよく読むと この踏切には「みぞ・ロープ」が と書いてあります。踏切にある「みぞ」って? まして「ロープ」ってなに? と思いませんか。 ケーブルカーは皆さんご存じの通り、ケーブル(鋼索)を車体につなげて山の斜面を上下しています。だから、線路を横切ろうとするとケーブルが邪魔になります。そのため、一般的にはケーブルカーの運行ルートに踏切はありません。しかし、ここは例外的に踏切があるのです。それも、ご覧の通り、乗用車が堂々と渡る立派な踏切です。だから「ロープ」……つまりケーブルカーのケーブルに注意してくださいね、という注意書きがあるのです。 では、「みぞ」は何でしょう? ところで、この写真の踏切には、随分と線路が多く写っていると思いませんか?よくよくみると4本あります。一般的にケーブルカーは単線で、ちょうど中間部分で線路が左右に分かれて上下の車両が交換するようになっています。その中間部分の交換する場所に、この踏切は設けられているのです。さらに、この近鉄生駒鋼索線は、ケーブルカーが2本並行に敷かれている珍しい路線です。ですから、この中間部分は4本もの線路となっているわけです。ケーブルカーは通常、片方しか運転していませんが、宝山寺への参詣客が多いときなどには両方とも動かすのだそうです。 場所は、奈良県のもっとも大阪寄りです。近鉄奈良線・けいはんな線・生駒線が合流する生駒駅が最寄り駅となります。この生駒駅からすぐのところに、ケーブルカーの鳥居前という駅があります。
【週刊ノリスケ】 最後の東海道ブルートレイン「富士・はやぶさ」
ブルートレインという名前をご存知の方は多いでしょう。 一方、日本の経済成長とともにブルートレインの設備は当たり前の存在になり、単に寝られるだけでなく、よりゆとりも求められるようになっていきました。さらに、航空機の発達と新幹線網の充実、高速バスの発展に加えてビジネスホテルの進化もあり、ブルートレインの利用者は次第に減少していきました。特に、新幹線が新規開業する区間ではブルートレインが削減されるのが常態化して、東海道~山陽本線からは次々とその姿を消していきました。それでも、人口流動の多い太平洋ベルト地帯ですから、航空機を好きになれないとか、寝ているうちに現地に着けると翌日の効率がよいといった利用者が一定割合いるおかげで、なんとか生きながらえてきたのです。 既に最終列車まで一ヶ月を切っていますので寝台券の入手は難しくなっているようですが、残りの期間は毎日、その姿を見ることが可能です。 ヘッドマークを颯爽と掲げて走る青い寝台客車特急は、遠からずブルートレイン発祥の地である東海道・山陽本線、それに九州から消えてしまいます。その前に、最後の別れを惜しんでみてはいかがでしょうか。
【週刊ノリスケ】 次世代路面電車LRVと超低床車
昭和後期には古い交通システムと言われた路面電車が、昨今スタイリッシュに変身して注目されているのをご存じでしょうか。これらの車両は、こぞって“LRV”と称しています。LRVとは Light Rail Vehicle の略で、軽量鉄道車両とでも訳せばよいのでしょうか。一時期、軽快電車という言葉が編み出されましたが、JRの“E電”と同じく定着せずに死語となってしまいました。結局、適当な訳語がないので、最近では“LRV”と記したうえで“次世代路面電車”というような注釈がつくようです。 このLRVに共通しているのは、スタイリッシュな外見とともに床の高さがとても低い“超低床車”であることです。これは、バリアフリーが叫ばれる昨今、とても望ましい仕様ですね。これにより、高齢者や障害者の方々は、乗降がとても便利になりました。また、ステップが無くなることで乗降時間が短縮するメリットも生み出しています。 この時代の流れになかなか乗ることができなかったのが、JR在来線と同じ1067mmのレール間隔(軌間)をもつ路面電車でした。床下面積が狭いために制限が多いのです。それでも、輸入技術で近年では実用化されるようになってきました。この流れに乗って、国産でもようやく昨年末の平成20年12月19日に1067mm軌間用の全面超低床路面電車が登場しました。大阪のアルナ車両製で、愛知県の豊橋鉄道が市内線用に導入したT1000形です。豊橋がある東三河地区を「穂の国」と呼ぶこと、それに路面電車のことを英語でトラム(Tram)ということから、これらを組み合わせて「ほっトラム」という愛称がつけられています。 3車体2台車方式の車両ですから、中間車には台車がありません。そのおかげで、中間車の乗降部の高さはレール面から35cmと極めて低くなり、電停高さとさほど変わりません。車椅子での乗降ができるように、両開きの幅広扉になっています。白色基調の車体は、豊橋市内を走っていても目立ちます。車内は明るく、ロングシートとクロスシートが配置された斬新なデザインで、従来のロングシートが長く伸びていた車両とは一線を画しています。営業開始から間もない今は、誇らしげに「祝」のヘッドマークを掲げて走っています。 東海道新幹線の停まる豊橋駅の駅前から乗車できる便利な豊橋鉄道市内線は、途中で天下の国道1号線も走る路面電車です。まだ1両だけしかない車両ですが、近くに用があった際には、少しだけでも乗車体験してみてはいかがでしょうか。
【週刊ノリスケ】 食堂車の楽しみ
皆さんは、食堂車に乗ったことがありますか? いまも乗ることができる食堂車は、上野~札幌を結ぶ「北斗星」「カシオペア」と、大阪~札幌を結ぶ「トワイライトエクスプレス」の3寝台列車だけです。それも、「カシオペア」と「トワイライトエクスプレス」は、週に3~4本の運転ですから、毎日走っているのは「北斗星」だけなのです。また、いずれもディナータイムは予約制で(*)、ちょっと高めのメニューになります。「北斗星」と「カシオペア」は、フランス料理のコースが7,800円、懐石御膳が5,500円です。「トワイライトエクスプレス」はさらに高く、フランス料理のコースが12,000円、日本海会席御膳が6,000円です。気軽とはいえないお値段ですよね。それでも、折角これらの列車に乗るなら、是非とも利用していただきたいと私・ノリオは考えます。 というのも、数ある鉄道サービスの中でも、食堂車というサービスは他とは別物だと思うからです。 乗る列車によってその後の様子は変わりますが、共通するのは、夜が更けてきたころ、ちょっと汽車旅にマンネリ感が出てきた頃に案内されるディナータイムです。 ところで、食堂車はディナーが終わると23時までパブタイムになります。こちらは予約不要で、お酒とつまみ類、それに軽食があるので愛用者も多いようです。照明を落とした食堂車内で味わうお酒は、ディナー時の食堂車とはまた別の味わいがあります。とっぷりと暮れた闇の車窓を眺めつつ、就寝前のひとときを過ごすにはもってこいです。 なお、食堂車では朝食も食べられるほか、走行時間が長い「トワイライトエクスプレス」の食堂車「ダイナープレヤデス」では、札幌行は出発日のランチタイム、大阪行は出発日のティータイムの営業もあります。ビールは北海道限定販売のサッポロクラシックの生が飲めるのもポイントでしょう。
【週刊ノリスケ】 流氷ノロッコ号に乗ろう
今週からしばらくの間、都合によりノリスケに代わってノリオが当欄を担当することになりました。よろしくお願いします。 みなさん、「流氷ノロッコ号」を知ってますか? 冬の道東といえば、その名物はオホーツク海にやってくる流氷ですよね。このオホーツク海は、網走から知床斜里にかけてだと、国道よりも釧網本線の方がよく見えます。そこで、毎年流氷が接岸する2月から3月にかけて「流氷ノロッコ号」を運転しているのです。もっとも、流氷を見られるかどうかは運次第。いつでも見られるという人から、何度行っても見られないという人まで、実にさまざま・・・ かくいうノリオは、昨年2月20日に乗ったのですが、意外なほど暖かい日でした。案の定、流氷ははるか沖合に行ってしまい、わずかに浮いている氷の固まりを少しだけ見るに終わりました。それでも、真っ青な青空とオホーツク海、それに凍り付いた大地の風景は日本離れしていて、居合わせた乗客達はみな満足げです。 やがて、原生花園の辺りまでくると、線路端にある小高い雪の斜面に点点点と穴があいています。あれ?と思ったら、案の定、列車に同乗しているガイドさんから、キタキツネの足跡だとの案内がありました。この辺りではよく見かけることがあるそうです。こうなると、乗客の視線は当然のように雪の斜面に釘付けです……と、その時、前方の車両から「お~」というような声が聞こえ、それが私の乗っている車両にまで伝播してきました。たしかに、野生のキタキツネがそこに居るのが見えました!キタキツネは、道東の山道を車で走るとよく出くわします。線路端で三脚を構えていたら、キタキツネの方から寄ってきたこともありました。ただ、大抵、夏場で、毛が薄くて貧相に見える時期でした。でも、流石に真冬のキタキツネは違いました。見事な毛並みに包まれています。野生のキタキツネは珍しくないと思っている私でも「おおっ」と思うくらいですから、同乗されていた方々には、きっと強い印象として残ったものと思います。 やがて、北浜駅で小休止をしたあと、網走までのラストスパートをしはじめたところで、川を渡りました。ふと見ると、川面には白鳥が群れになって休んでいます。白鳥も東北から北海道にかけては珍しくないとはいえ、一般的には間近に見る機会があまりないでしょう。またまた、車内に歓声があがっていました。そういえば今朝ほど、釧路から知床斜里へ向かう列車が釧路湿原にさしかかったところ、エゾシカに線路を阻まれてしまい、警笛を鳴らしながら最徐行で走っていたことを思い出しました。さすがは自然がゆたかな道東ですよね。 皆さんも、この冬、大自然を求めて道東の旅をしませんか? 流氷ノロッコ2号 知床斜里08:55→10:00網走 流氷ノロッコ1号 網走10:25→知床斜里11:22 上記区間の乗車券は810円で、指定席利用の場合にはさらに指定席料金300円が必要です。
【週刊ノリスケ】 九州鉄道記念館に行きました
鉄道関係の博物館といえば、2007年10月に開館したさいたま市の鉄道博物館を思い浮かべる人も多いでしょう。もちろん、これ以外にも全国各地にあり、九州ではJR九州のバックアップを受けて2003年8月に北九州市が開設した九州鉄道記念館が代表格です。 同記念館は、北九州市を代表する観光地として知られる門司港レトロ地区の観光施設の一つとして開設されました。貿易を中心に栄えた明治・大正時代の面影が残る街並みを観光資源とした同地区に、明治時代に建設されたレンガ造りの旧九州鉄道本社ビルを改装した記念館本館はぴったりで、この建物自体も貴重な文化遺産の展示物といえます。この本館に隣接したミニ鉄道公園にあるミニ列車は、見学者自身で運転する展示物で、鉄道博物館のミニ運転列車を先取りしたものとして、同記念館ご自慢の展示品です。 鉄道関係の博物館で、気になるのは保存車両です。同記念館では、JR九州が将来の展示用に保管していた車両や北九州市内の公園などで展示していた保存車両をJR九州小倉工場で整備してから搬入しました。駅のホームを模した車両展示場では、蒸気機関車・電気機関車・電車を各2両、ディーゼルカーと貨車を各1両展示しています。全国的に見ても貨車の保存例は珍しいのですが、炭田の石炭輸送で鉄道が発展した九州らしく石炭車が保存されているのです。さらに本館内には、九州鉄道の設計のまま国有化後の1909年に製造され、耶馬溪鉄道に払い下げられる1971年まで使われた客車が展示されています。 ところで、上述の保存車両で筆者が一番注目した車両は、この写真のキハ07形41号です。この形式は、戦前に製造されたガソリンカーの生き残りで、戦後になり製造時に装備されていたガソリンエンジンをディーゼルエンジンに交換した車両です。戦前生まれの内燃動車(ガソリンカーやディーゼルカーなど)では最大の生産両数を誇り、戦後には最初からディーゼルエンジンを装備して新製した車両が加わり、さらに同設計の新車をメーカーに発注した私鉄もありました。また、国鉄で新形ディーゼルカーが登場した後、一部は私鉄に払い下げられ、近代化に貢献しました。 誕生当時の内燃動車はマニュアルミッションの自動車と同様に、ペダルでクラッチを切って手動でギアをチェンジする方式で、機械式と呼ばれました。このキハ07形41号は、今は廃線となった宮原線(久大本線恵良で分岐する支線)で使われた国鉄最後の機械式ディーゼルカーの1両です。最後の機械式という価値が認められてか、1969年に廃車となった後も解体されることはなく、豊後森機関区や大分運転所で保管されていました。私鉄に払い下げられた同形車でも2両が保存されていますが、そのどちらも液体式(車でいうオートマチック)に改造されており、もっとも原形に近いのがこの車両なのです。 このように、国内の内燃動車発達史において、欠くことができない車両です。また、筆者個人としては、保管されている事を知らずに偶然見かけた1980年夏の九州旅行以来、気になっていた車両でもあります。 写真を見ると、ホームから渡リ板がかけてあるのが判ります。車内に立ち入る事ができる状態で保存されているわけで、現役時代の雰囲気を味わうことができます。しかも、保存されている場所は、門司港駅構内と低いフェンスで仕切られているだけですので、車両に乗り込んで外を見ていると、今でも現役のような錯覚を覚えます。 この門司港では、今春4月26日から旧貨物線を利用してレトロ観光列車を運転する準備を進めています。ますます、魅力が高まりそうな門司港レトロ地区です。
【週刊ノリスケ】 再就職が決まった三木鉄道の車両
昨年の今頃、レールファンの関心を集めた出来事がいくつかありました。まず、昨年3月に廃止される事が決まっていた寝台特急「なは」「あかつき」と寝台急行「銀河」です。この3列車以外にお名残乗車のターゲットになったのが、3月末での廃線が決まっていた三木鉄道です。兵庫県南部にあるJR加古川線の厄神駅を起点に、三木駅までの6.6kmの路線を持つミニ私鉄でした。私鉄と言っても元は三木線という国鉄路線で、国鉄再建法により同線廃止が決定したので、鉄道として存続させるために地元で設立した第3セクター鉄道でした。 1985年の開業時には、レールバスと呼ばれる小型ディーゼルカーのミキ180形2両が用意されました。1998年には、やや大型のミキ300形を1両新製して、所属車両は3両になりました。さらに老朽化していた2両のミキ180形に代わり、ミキ300形を1999年と2002年に1両ずつ投入し、廃線時には3両のミキ300形が活躍していました。 廃線後、まずは新しい2両を売却する事になり、入札の結果、岐阜県の樽見鉄道と、三木鉄道と同時に開業した北条鉄道が1両ずつ購入しました。昨年12月8日と9日に搬出され、購入先で整備を受けています。この写真の103号は、三木市で記念のために保存する構想もあったので売却を保留していたのですが、保存を行わない事になったため、今は売却先を探しているそうです。 売却された車両は、塗装が変えられ、雰囲気が一変することも珍しくありません。しかし今回の2両は、当面の間、塗装を変えないと報じられています。しばらくの間、転籍先で三木鉄道の雰囲気を残しながら活躍することになりそうです。実は、両社共にミキ300形とほぼ同タイプのディーゼルカーを新車で導入しており、これで塗装違いの兄弟車を所有する事になります。 この2両共、3月には整備を終えて営業運転を開始する予定だそうです。三木鉄道に思い出がある人や都合で行けなかった人には、三木鉄道を偲ぶチャンスですよ。
【週刊ノリスケ】 樹氷ライトアップ上空を20年!
樹氷といえば、アイスモンスターと呼ばれるほど巨大に成長する蔵王のものが有名です。 冬の雪国では厳しい季節風がよく吹きます。この季節風に多く含まれる過冷却水滴が、アオモリトドマツなどの針葉樹の枝葉に衝突すると、その衝撃で瞬時に氷となって付着します。この氷は風上方向へ次第に伸び、それに雪が着いて樹木を中心とした氷雪の塊になったものが樹氷です。このプロセスが繰り返されることで、次第に巨大な樹氷に成長するそうです。自然条件が整わないと巨大な樹氷は出来ないそうですが、蔵王など奥羽山脈の一部山域ではそれらのが条件が整っているようで、巨大な樹氷が見られます。 樹氷は、古くから冬の東北の代表的な観光資源で、蔵王ロープウェイは1950年代末に樹氷観光のため山形市により計画されました。東武鉄道や山形交通の協力で設立された蔵王ロープウェイ株式会社により、1963年に山頂までのロープウェイが完成しました。これにより厳しい自然条件の下にある樹氷観光が手軽になりました。 晴れていれば、この写真のように樹氷原の上を通るロープウェイから見下ろしながら樹氷鑑賞ができます。 この樹氷を夜間にライトアップして鑑賞するというイベントは、まさにロープウェイがあってこその企画です。今冬が、樹氷ライトアップ20周年になるそうです。これを記念して、蔵王ロープウェイでは、今シーズンにライトアップ鑑賞に訪れると、10年後のライトアップ鑑賞に無料で乗車できる『20周年記念乗車券』をプレゼントするそうです。 ライトアップは、年末年始の8日間と1月中旬以降の金・土・日曜、2月の毎日と3月6・7日の合計50日間開催されます。例年ですと、樹氷の最盛期は連日ライトアップが実施される2月だそうです。 蔵王ロープウェイは、山麓線と山頂線の2区間に分かれており、樹氷は山頂線沿線より標高の高い場所で見る事ができます。ライトアップは、この山頂線沿線と山頂駅付近で行われます。山頂線のロープウェイは、2003年12月から、写真のフニテル式に架け替えられています。この結果、従来のすし詰め状態に代わって、全員が着席した状態で大きな窓から外を見ることが出来るようになりました。さらに、このフニテル式は悪天候に強いので、樹氷が出来るような厳しい気象条件の蔵王に向いており、運休も減りました。 日本の樹氷は、世界的に見ても珍しい自然景観だそうですから、一度は見ておきたいですね。良質な硫黄泉である蔵王は温泉としても魅力的ですから、冬にぴったりの観光地です。ライトアップ20周年記念はいい機会かもしれません。
【週刊ノリスケ】 寝台特急「富士」はあと3ヶ月足らず
JRグループは12月19日、2009年3月14日に予定しているダイヤ改正の概要を発表しました。 東海道・山陽新幹線の増発などの明るいニュースが多い反面、レールファンや鉄道旅行が好きな方が、まえまえから気にしていた夜行列車の廃止や臨時列車化というニュースもありました。正式発表を前に、マスコミがニュースで報じていた内容に沿っていましたので、予想された内容でしたが、やはり正式に明らかにされると悲しいものがあります。 夜行列車関係では、東京~大分/熊本の寝台特急「富士/はやぶさ」の廃止と青春18きっぷ愛好者に多く利用された2本の夜行快速、東京~大垣の「ムーンライトながら」、新宿~新潟の「ムーンライトえちご」が臨時列車に格下げとなると発表されました。理由は、いずれも利用者の減少です。 「富士/はやぶさ」は、早々とマスコミに報じられた影響か、今年の春頃から週末などを中心にそれなりの利用者があったようで、個室寝台では早くからの満室が増えていました。しかし、この個室寝台も一時期は当日でも空室があるような状況になっていたのは筆者も確認しており、実際に夏休みでもガラガラだった「はやぶさ」に乗った事もあります。また、青春18きっぷの時期には、指定券の入手も困難になる事も多い2本の夜行快速が、それ以外の期間にはガラガラで走っていることも多く、廃止や臨時列車化もやむを得ないのでしょう。 この結果、来春以降も走り続ける寝台特急は、先週の記事でご紹介した2本の豪華列車「トワイライトエクスプレス」と「カシオペア」、個室を主体として新時代の夜行特急を目指した寝台電車の「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」、国鉄時代の面影を残す大阪~青森の「日本海」、上野~青森の「あけぼの」、上野~金沢の「北陸」、上野~札幌の「北斗星」と全部で8本になります。定期の夜行列車まで範囲を広げても、青森~札幌の急行「はまなす」、上野~金沢の急行「能登」、大阪~新潟の急行「きたぐに」、博多~宮崎空港・南宮崎の特急「ドリームにちりん」が加わるのみです。 この中でも国鉄時代の面影を残す青色の寝台車で編成され、ブルートレインの愛称で知られた客車寝台特急は「日本海」「あけぼの」「北陸」「北斗星」の4本です。国鉄時代に寝台特急で活躍した寝台電車を使う「きたぐに」と、座席車と寝台車が混在した編成で国鉄時代の客車夜行急行の姿をよく残す「はまなす」も、昔を懐かしむにはピッタリです。 廃止はやむを得ないとしても、名残惜しいという気持ちをお持ちの方も多いでしょう。しかし、いざ乗るとなったら、個室でないと熟睡しづらいため、翌日への影響が気がかりな人もいらっしゃるのではないでしょうか。 実は筆者もその一人で、学生時代の鉄道仲間とお名残乗車をしようと計画したのですが、個室が取れませんでした。仲間はB寝台に乗りましたが、私はフェリーの個室で別府に向かい、別府から大分の一区間だけ「富士」に乗ったのです。下り「富士」の下松→大分は、立席特急券で乗車できます。立席特急券は、列車を指定して発売されますから「富士」という列車名入りの特急券になるため、記念になります。さらに、寝台料金は不要ですから、お名残乗車には向いているのではないでしょうか。別府では、乗車の前にこのような写真も撮れました。ただ、長いホームにで発着するにも関わらず編成は短いので、ホームの端で到着するシーンを撮影してから、ホーム中ほどに止まる列車に乗りこむのは、結構大変でした。一方、終着駅を前にしての車内放送には旅情が感じられ、苦労してでも乗ってよかったです。 ちなみに「はやぶさ」も、下松→熊本では立席特急券で乗車できますので、似たようなお名残乗車ができそうです。
【週刊ノリスケ】 わが国で2番目に豪華な寝台特急の2番目に豪華な部屋
国内を定期的に走る豪華列車といえば、本州と札幌を結ぶ2本の寝台特急であると言い切って間違いないでしょう。すなわち、上野と札幌を結ぶ「カシオペア」と、大阪と札幌を結ぶ「トワイライトエクスプレス」の2本です。ブルートレインと呼ばれた青色塗装の車両から決別して、独自塗装を採用し、個室を主体とするコンセプトは似ています。また、車両の外観はブルートレインと呼ばれる一般的な寝台特急に近い青色塗装ですが、青函トンネル開業時から上野~札幌で走っている「北斗星」も個室主体の編成ですから、豪華列車とお考えの人もいらっしゃるでしょう。「トワイライトエクスプレス」が1989年に登場した当時には、国内で最も豪華な列車と呼ばれていましたが、1999年にオールA寝台個室の「カシオペア」が登場してからは、豪華列車トップの座を譲っています。 国内で2番目に豪華な列車となった「トワイライトエクスプレス」ですが、いまなお列車の魅力は失われていません。有名なのは、1号車の車端部にあり、展望室のようになったスイートです。スイートは、2号車にも1部屋あり、こちらは最後部でない代わりにサイドの景色を重視して、日本海側に向けた特大の窓があります。車両の揺れは、端よりも中央部の方が少ないため、展望だけでなく乗り心地まで考慮すると、2部屋あるスイートには甲乙付けがたいところです。 スイートに次いで豪華な部屋となるのは、1号車と2号車に4部屋ずつあるロイヤルです。スイートが2人用個室であるのに対し、ロイヤルは本来1人用であるため、1人用個室としては最上級といえます。ロイヤルは、青函トンネルが開業した1983年に上野~札幌で走りだした「北斗星」に初登場した個室で、当時の寝台車で最上級の部屋でした。「北斗星」では、ベッドの下に収納されたエクストラベッドを引き出すことで、幅800ミリのシングルベッドが幅1400ミリのセミダブルベッドになる構造です。「トワイライトエクスプレス」では、ソファー状態で使う背もたれが電動で反転してベッドを広げる構造で、一人利用でもセミダブルベッド状態で使うのが通常とされ、よりグレードアップされました。写真は、白熱灯の照明がムードを盛り上げる、ロイヤルの室内です。 スイートとロイヤルには、各部屋に折りたたみ式の洗面台とトイレを内蔵したシャワールームが設けられ、部屋から出ることなく所用を済ませることができ、まさにホテル並みです。ロイヤルを一人で使う場合の寝台料金17,180円(乗車には、これに加え乗車券代と特急料金が必要です)は、ホテルと比べて割高な印象を受けますが、部屋の広さはグリーン車6~8座席分相当です。これを一人で独占して、洗面所もトイレもシャワーも付いているわけですから、列車の設備とすれば高すぎることはないでしょう。A寝台特有のサービスとしては、ワイン、ウイスキー、ソフトドリンクから選べるウェルカムドリンク、朝刊の無料サービス、コーヒーか紅茶のモーニングドリンク、歯ブラシ、櫛、シャンプーなどをオリジナルのバッグに入れた洗面セットもあります。 他の個室には、B寝台として1人用シングルツイン(エキストラベッド使用で2人利用も可)、2人用ツイン、4人用Bコンパートメント(相部屋利用もあり)もあります。さらに本格的フランス料理のディナーを楽しめる予約制食堂車「ダイナープレヤデス」や大きな窓からの眺望が売り物のサロンカー「サロンデュノール」も連結されています。食堂車は、ディナータイム前のランチタイム(札幌行きのみ)、ティータイムや終了後のパブタイムは予約なしで利用が出来ますので、軽食や飲み物で手軽にムードが楽しめます。 これだけ豪華な列車なため人気が高く、特にA寝台個室の予約は、走り出して20年経つ今でも難しいようです。ただ、B寝台は季節によって、さほど難関ではないようで、筆者の乗車時にもBコンパートメントは半分以上開いていました。実は、1ヶ月前の発売日にロイヤルの寝台券を買いに行ったのですが、発売開始の10時に間に合わず、すでに売り切れで、買えたのはB寝台個室のシングルツインでした。ところが、2日前の夕方に札幌駅で聞いたら、キャンセルがあったようであっけなくロイヤルに変更ができました。 なかなか乗る機会がない列車ですが、一回は乗っておきたいですね。
【週刊ノリスケ】 地方色豊かなホームのベンチ
地方の駅に行くと、地方色を感じる装飾や小物があるのを見かけることがあります。この写真は、大分駅のホームで見かけたコンクリート製のベンチです。モチーフは、大分名物の「かぼす」ですね。なんでも、生産量の98%が大分産だそうで、大分県原産の果樹と考えられているそうですから、まさに大分駅には相応しいデザインですね。このホームには、似たデザインでオレンジ色のベンチもありましたが、こちらは「みかん」でしょうか? 筆者の勉強不足かもしれませんが、大分名物の柑橘類というと「かぼす」しか思い浮かびません。 せっかくの地方色豊かなベンチですが、実は大分駅では連続立体交差事業が行われており、このホームも2~3年先には高架ホームとなって消える予定です。すでに豊肥本線・久大本線用のホームは、2008年8月に高架ホームとなっています。 しかしながら、新しいホームになったからと言って、無味乾燥なホームとなるとは限りません。最近の傾向としては、装飾的なデザインを採用するなど、特色を出す傾向にあります。実際に完成したホームを見てきましたが、実用一辺倒ではなく、デザインにも気を遣っているように見えました。ただ「これぞ大分」という地方色を感じるほどではなかったです。 この重そうなベンチを高架ホームに移動するのは難しそうなので、高架化に伴って、旧ホームと共になくなりそうですが、このようなストレートなデザインは素朴で、なぜか和みますね。これから作られる新しいホームでは、これに代わる大分らしさを感じさせる備品が現れるのでしょうか?ちょっと気になっています。
【週刊ノリスケ】 箱根で乗ろう! 外国の鉄道車両
日本製の鉄道車両は優秀で、海外にも多く輸出されています。ただ、最近流行のノンステップ路面電車(超低床電車)は、開発の早かった欧州メーカーに一日の長があり、最近の日本では珍しく、輸入された電車も活躍しています。 さて、表題にある箱根に路面電車はありません。しかし、タイトルどおり外国製鉄道車両が活躍しています。ここで箱根登山鉄道を思い浮かべた方は、さすがですね。同社はスイスの有名な山岳観光鉄道「レーティシェ鉄道」と姉妹鉄道の関係にあり、同鉄道にちなんだ「ベルニナ号」「サンモリッツ号」という愛称を持つ1000形電車と2000系電車が走っています。しかし、残念ながらこれらは、川崎重工製の国産電車です。 箱根登山鉄道には、電車だけではなく強羅から早雲山に登るケーブルカーもあります。同線では、1995年3月に輸送能力の増強を目的として、設備の大規模なリニューアルと車両の交換を行いました。この結果、スイス製の車両が導入されたのです。 観光シーズンの深刻な輸送力不足を解消するために、同社では輸送能力の向上を計画していたのですが、実は国内のメーカーでは本格的なケーブルカーに対応できる技術を持つ会社は、もうないのです。そこで、山岳観光の本場であるスイスにあるフォンロール社に協力を仰いで、大規模リニューアルが行われる事になりました。この結果、国産の車両が使われる事が一般的なケーブルカー車両も、スイス・ガングロフ社製となりました。それが、この写真の車両です。この結果、最大定員がこれまでの121人から251人となり、混雑時の待ち時間が大幅に短縮されました。 欧州メーカーによるケーブルカーのリニューアルは、2001年に北九州市帆柱ケーブルでも行われています。こちらではオーストリアのドッペルマイヤー社の技術を導入してのリニューアルとなり、車両はスイス・CWA社製となっています。 ガングロフ社もCWA社も鉄道車両のメーカーとしての知名度は低いですが、ケーブルカー車両やロープウェイのキャビンでは世界的な大手メーカーです。実は、ケーブルカーに先立って、ロープウェイでは日本に導入実績がありました。やはり、山岳観光といえばスイスなんですね。
【週刊ノリスケ】 阪神なんば線開業まであと4ヶ月
最近の関西大手私鉄では、大きなニュースが2つあります。1つは、今秋の10月19日に開業した「京阪中之島線」で、本ブログでも4月27日と11月9日の記事で関連する話題を取り上げました。もう1つは、来春に予定される「阪神なんば線」の開業で、近鉄奈良線との相互乗り入れを行います。 「阪神なんば線」は、阪神本線の尼崎とJR大阪環状線に接続する西九条を結ぶ阪神西大阪線を延長して近鉄難波駅と結び、近鉄奈良線との相互乗り入れを行い、神戸・三宮と奈良の間に直通電車を走らせようという計画です。来年3月20日に予定される開業後には、この写真のように阪神の線路で、近鉄電車と阪神電車のすれ違う光景が見られることでしょう。 阪神西大阪線は、戦前にあった第二阪神線計画の名残でした。高速運転が特徴の阪急神戸線に対抗するため、高速運転に適した新線を阪神間にもう1本作ろうという計画で、梅田地下駅や御影駅付近の高架橋にも、この計画のために備えていた跡が残ってます。この新線の梅田~尼崎は、現在の西大阪線千鳥橋付近を通る計画でした。1924年に開業した大物~千鳥橋は、実はこの一部だったのです。しかし、既存線の改良が進むと第二阪神線の必要性は薄れ、代わって1950年代後半には千鳥橋から難波に延長し、近鉄と連絡する計画が具体化しました。第一段階として、千鳥橋から西九条まで延長され、引き続き九条までの工事の準備も進められましたが、本格的に着手することなく中断してしまいます。一方、近鉄では万国博覧会輸送対策の一環として、上本町~近鉄難波を1970年に開業させ、あとは阪神の延長を待つだけでした。しかし、阪神単独での延長は難しい状況でした。 この状況が変わったのは2001年のことです。線路を建設し保有する第3セクター西大阪高速鉄道が設立されました。2003年には西九条~近鉄難波の工事が着工され、今では2009年3月20日の開業に向け、着々と準備が進んでいます。阪神電車が、近鉄奈良線で試運転を開始した模様は、6月1日の記事でお伝えした通りです。 また、本年9月には、陸送されてきた近鉄電車の試運転が阪神本線で行われ、11月には訓練運転が開始されています。写真は、香櫨園駅の近くですれ違う、阪神の各駅停車と訓練運転を行う近鉄電車です。このような光景を見ると、いよいよ相互乗り入れが近づいてきたことを実感します。 どのようなダイヤとなるかは、まだ概要しか発表されていませんが、三宮~奈良の直通運転は「快速急行」となり、他に尼崎~東花園・奈良の「普通」等の各駅に停車する列車が運転されます。線名は現在の西大阪線部分を含んで「阪神なんば線」になる事と、近鉄難波駅は同線開業に合わせて「大阪難波」と改称することが発表されています。さらには、神戸高速鉄道を介して接続する山陽電鉄への近鉄特急乗り入れも検討しているようで、まずは修学旅行用団体列車の運転を考えているそうです。ゆくゆくは姫路から伊勢志摩方面への特急も目指しているそうなので、開業しても、しばらくは目が離せそうにありません。
【週刊ノリスケ】 博多を目指す九州新幹線!
先日、JR東日本は、2011年春の開業を目指して工事中である東北新幹線八戸~新青森間について、2010年12月開業に目途がたった、と発表した事をご存知の方も多いでしょう。 同じく、2011年春の開業を目指して工事中の新幹線には、九州新幹線鹿児島ルート博多~新八代間もあります。この区間が開業すれば、山陽新幹線との直通運転が開始され、新大阪と鹿児島中央が約4時間で結ばれます。現在の大阪から鹿児島までは、博多と新八代で乗換て約5時間かかってますが、乗換がなくなった上に約1時間早くなるわけですから、かなり便利になります。この直行列車で使われる電車については、10月26日の週刊ノリスケで紹介させていただいた通り、かなり居住性の良さそうな電車に仕上がっていました。飛行機の利用が多い大阪~鹿児島ですが、鹿児島空港は市街地から遠いので、新幹線も善戦しそうですね。 元々この区間は、東北新幹線青森延長と同様に2012年度開業を目標として着工されました。しかし、2004年12月に、両線共、開業目標を2年繰り上げて2010年度とすると発表されました。すんなりと繰上げが決まった東北新幹線に対し、九州新幹線は、博多駅新幹線ホーム増設工事が間に合うかどうかが検討課題に挙げられていました。このような経緯がありましたので、東北新幹線のように繰り上げは難しいと思いますが、博多駅の工事は順調に進んでいるようです。 一方、博多~新八代の線路の方も順調に工事が進んでいるようで、この写真のように完成した高架橋が各地で見られます。熊本県のホームページに拠れば、2008年度予算ベースで、博多~新八代の進捗率が78.9%ですから、数字の上でも順調といえそうです。したがって、2011年春には予定通り開通しそうですね。 実は、九州新幹線鹿児島ルートは、新八代~鹿児島中央が先に開通したことで判るように、南から建設が決まりました。博多~新八代も一括で着工されたわけではありません。船小屋~新八代が1998年に着工された後、博多~船小屋の着工が決まり、2001年に着工されました。一般的に新線建設では、市街地の線路用地確保が問題になりますが、福岡市内の九州新幹線は山陽新幹線の車両基地である博多総合車両所への連絡線として、1975年の山陽新幹線開業時に完成していました。これが現在の博多南線です。九州新幹線は博多南駅のすぐ手前で分岐して、熊本・鹿児島方面に向います。写真は、博多総合車両所横に建設された九州新幹線の高架橋で、長い間、九州新幹線の予定地として空き地でした。これが、博多~船小屋の着工が最後になっても、博多駅のホーム増設以外は、大きな問題にならなかった理由でしょう。 博多~新八代は、約7割がトンネルの新八代~鹿児島中央とは異なり、トンネルは3割しかありませんので、車窓が楽しめそうです。開通が期待されますね。
【週刊ノリスケ】 北陸鉄道が石川線末端区間の廃止届を提出
北陸鉄道は、石川県で鉄道やバスを運行する会社です。以前は金沢市街地の路面電車や北陸本線と温泉地を結ぶ路線など、県内で100kmを越える鉄道路線網をもち、石川県下では尾小屋鉄道以外の全ての私鉄路線が路面電車も含めて北陸鉄道でした。しかし、その多くが廃止され、1987年に行われた金名線加賀一の宮~白山下の廃線により、現在の石川線・浅野川線の2路線になっています。この2路線は金沢市街地に直結する近郊路線ですが、石川線が野町、浅野川線がJR金沢駅前の北鉄金沢と、いずれも片町・香林坊といった中心市街地と離れています。そのため、それなりに利用はあるものの、金沢市内で中心街までの輸送を担っていた路面電車が廃止されたいま、利用・収入共に減少傾向にありました。 北陸鉄道は、今年の10月23日に石川線の末端区間である鶴来~加賀一の宮の廃止届を北陸信越運輸局に提出しました。この区間は、金沢電気軌道だった野町~鶴来とは異なり、元来は鶴来~白山下で開業した金名鉄道の一部でした。金名線が廃止になった際、この区間にある中鶴来駅が県立鶴来高校の最寄駅であったため石川線の一部として残ったようです。それが、1993年の鶴来高校移転により乗客が減り、事情が変わりました。 以前は、鉄道の廃線というと沿線の同意が必要でしたが、今では運営会社の意向が尊重され、廃止予定日の1年以上前に廃止届を提出すればよいことになっています。沿線の同意があれば、提出後、1年を経たずしての繰上げ廃止も可能です。したがって、廃止届を取り下げるような大きな状況の変化が無ければ、届出されてから1年となる来年10月一杯での廃止は確実です。この区間は、かなり利用が少ないことを考えると、繰り上げての廃止がありえるかもしれません。 終点の加賀一の宮駅は、石川県で多くの初詣客を集める白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の最寄駅ですので、正月には賑わいます。しかし、神社は河岸段丘の上に位置しており、距離の割に不便です。参拝客が少ない通常の時期には、列車の間隔が2時間ほど開く時間帯もあります。趣きのある木造の駅舎は金沢フィルムコミッションのロケ候補地にも指定されていますし、この写真のようにローカルムードに満ちた駅の風情には、大いに魅力があります。金沢市街地から30分ほどの距離ですが、雪の量が多く、これから迎える最後の冬には雪国のローカル私鉄らしさを求める鉄道好きの人で賑わうような気がします。
【週刊ノリスケ】 地下線らしいモニュメント
この秋、10月19日に、大阪市中心部に地下新線が開通しました。京阪電鉄の中之島線です。大阪と京都を結ぶ京阪本線をさらに大阪中心部に向かって伸ばした路線です。このような都心部への延伸は、多くの都市で市営などの公営地下鉄が建設し、私鉄がそれに乗り入れるという形が多いです。しかし、大阪では私鉄が独自に路線を建設し、都心に延伸する事が少なくありません。例えば、京阪が京阪本線を天満橋から淀屋橋に延伸したときや、近鉄が上本町から灘波まで延伸したときも、自社で建設しました。 今回の中之島線も、乗客の視線で見る限りは京阪電鉄独自の新線に見えます。しかし、前述の淀屋橋や灘波に私鉄が独自で延伸したときとは状況が違い、民間企業の独力では、荷が重いのです。そこで、建設工事自体は中之島高速鉄道という第3セクターが行い、運行は京阪電鉄が行うという方法で建設されました。京阪電鉄は施設の賃料を中之島高速鉄道に支払い、それによって建設費を償還するわけです。 この中之島線の終点、中之島駅のトンネルの行き止まりの壁には、この写真のようなモニュメントが埋め込まれています。一目でお分かりの人は、土木工事などに関心が高い人ですね。普通の人ならわからなくて当然です。これはシールドマシンというトンネルを掘る機械の先端にあるカッターだそうです。これを回転させて土砂を掘り、トンネルを作るわけです。全線トンネルの中之島線らしいモニュメントです。 中之島線で具体化している予定は、今回開通の区間だけですが、実はまだ先に伸ばそうという構想もあります。西九条を通り、臨海部まで向かう路線で、近畿地方交通審議会答申にもうたわれています。 このモニュメント、見ようによっては、その延伸を祈念しているようにも見えますね。
【週刊ノリスケ】 県境にある駅
県境を越える時には旅を実感しますね。東京や大阪の近郊などでは、日常的に県境を越えるような場所もあり、筆者も学生時代には県境を越えて通学していました。ですから、どこの県境(都府県境)でも旅情を感じるわけではないですが、たいていはわくわくします。 県境の多くは山越えの場所や川にありますが、まれに町の中を県境が通過しているような場所もあります。その町に鉄道が通っていると、県境の上に駅があり、ホーム上を県境が横切っているケースもあります。 写真は、JR九州の日田彦山線宝珠山駅のホームです。駅の大部分は福岡県に属してますが、ホームの南端にこのようなラインと標識が立てられ、駅が福岡と大分の県境上にあることを示してます。 実は、現地に行くまでホームを県境が横切っている事など知らず、説明を読んで知りました。さらに駅が県境上にあるのは、九州ではこの駅だけという事も始めて知った次第です。「九州では」という事は、九州以外にはあるという事でしょうから、他にどこがあるのか興味をもちました。 まず思いついたのは、東海道本線の新所原駅。静岡県西部には親戚がありますので、子供時代から何度も通った駅で、愛知と静岡の県境が近いことは知ってました。改めて地図を調べるとホームの大阪寄りを県境が通っているようです。 あと、鉄道写真の有名撮影地の最寄り駅だった、東海道本線の山崎駅も、京都と大阪の県境(正確には府境ですね)が近く、こちらもホームの大阪寄りを県境が通ってます。調べてみると宝珠山駅のように標識が立っているそうです。 これだけかと思ったら、西武池袋線秋津駅も東京都と埼玉県の県境が通っているようです。ここは、直線状に境界がある場所ではなく、駅の大部分は東京都に属しています。しかし、東西に伸びる駅のうち、北側の一部が埼玉県に属するそうです。県境の上にあるのは間違いないですが、駅の東西共に東京都で、駅を通り過ぎたら県境を越えていたという状況ではないですから、県境にある駅かと言われると微妙ですね。 羽越本線の鼠ヶ関駅も有力候補でしたが、地図を見る限りでは、どうもギリギリ県境からは外れているようです。県境にある駅は、かなり珍しいようですね。
【週刊ノリスケ】 九州新幹線直通用電車完成
博多と鹿児島中央を結ぶ九州新幹線鹿児島ルートのうち、いまは熊本県の新八代と鹿児島中央の間が開通しています。2011年春には、新八代と博多が結ばれ、山陽新幹線と接続する予定で工事が進んでいます。山陽新幹線とつながった後は、新大阪から鹿児島中央まで直通運転を行い、同区間を約4時間で結ぶ見込みとなっています。 九州新幹線では建設費を抑えるため、山陽新幹線よりも急な勾配を採用しており、現在の山陽新幹線用の車両では走ることができません。そこで、JR九州とJR西日本では、山陽・九州新幹線直通運転用の車両を共同開発しています。ベースとなったのは、現在「のぞみ」用に量産が行われている16両編成のN700系です。この車両を8両編成に短縮すると共に、全車両をモーター付きとして急勾配に対応させ、同じ前面デザインを採用することで、山陽新幹線内での300km/h運転時における環境問題の対策としています。 開業まで2年半となった今、所定の性能があるかどうかを確認するため、量産に先立って製造する量産先行車が完成し、山陽新幹線の車両基地である博多総合車両所に運び込まれました。10月24日に、メーカーから受領のための公式試運転を行い、まず今年度一杯は所定の性能があるかどうかを確認するための性能試験、来年度になると耐久試験というスケジュールだそうです。 株式会社エリエイが発行する鉄道月刊誌「とれいん」の編集部からの依頼で、この新車両の取材に行ってきました。同誌のご協力をいただき、本ブログでもこの車両を紹介させていただきます。 外観の形状は、N700系そっくりです。ただし、塗色は薄い水色に近い青磁色の車体に、藍色と金色の細帯となっており、従来のN700系とは印象がかなり異なります。 客席は、普通車自由席、普通車指定席、グリーン車の3タイプがあります。自由席は新幹線で一般的な通路を中央に3列と2列の座席が並びます。一方、指定席は2列&2列配置で、この写真の通りゆったりしたシートです。木材を使った肘掛やテーブルが落ち着いた雰囲気を漂わせ、グリーン車といわれても信じてしまいそうです。そのグリーン車は、レッグレストと枕が設置され、これまで以上にゆったりとリラックスできそうなシートになっています。 自由席も指定席も各列の窓下に、グリーン車では各座席にコンセントがあります。デッキや客室端の壁はタイプ別に色調を変えた木目で、くつろぎ感のあるインテリアに仕上がっていました。 営業運転開始が、待ち遠しい車両ですね。
【週刊ノリスケ】 「出発進行」は単なる掛け声にあらず!
電車の先頭に乗っていると、駅から出発するときに運転士が「出発進行!」という声を発してから、電車を動かすシーンに遭遇したこともあるのではないでしょうか? 鉄道以外でも、家族や友人などと出かけるときに「さあ出かけよう」という意味合いで、「出発進行」と掛け声を発して、行動を開始することもあると思います。 似たような場面で使われていても、その意味合いはまったく違います。電車の運転士の場合は、単なる掛け声ではなく、運転をする上で重要な作業手順なのです。決して、気合を入れるために叫んでいるわけではありません。 運転士の「出発進行」で使われる“出発”は、「これから電車を動かしますよ」という動詞ではありません。「出発信号機」と呼ばれる駅の出口にある信号機を指しているのです。進行というのは、青信号という意味です。つまり「出発信号、現示進行」という言葉を略した形で、出発と進行の間を区切って喚呼する運転士も多いようです。 道路の信号は、青・黄・赤の三色で、それぞれ「進んでよい」「新たに進み始めてはいけない」「進んではいけない」を意味しますが、鉄道の場合は「進行」「注意」「停止」と規定され、基本的には進行速度を示します。一見同じように見えて、異なるのが道路信号と鉄道信号です。道路の信号では、停止してる状態から黄信号を見て発進したら、交通違反ですが、鉄道の場合の黄信号は低速で進んでよいという意味ですから「出発注意」と喚呼して出発することもあります。 写真は、熱海駅下り線の出発信号です。2つ並んでいるうち「伊」と書いてある信号が伊東線用、「東」と書いてあるのが東海道本線用です。3灯式と4灯式という違いもあります。4灯式といっても4色の電球を使っているわけではありません。使う色は、緑・赤・黄の3色で、黄色が2灯あるというのが一般的です。この場合、黄色2灯の同時点灯を「警戒」と呼び、「注意」よりも低い速度を指示しています。信号機によっては、「警戒」ではなく「減速」と呼ばれる緑色と黄色の同時点灯を行うタイプもあります。色違いであっても2灯以上を同時に点灯する場合は、見間違いを防止するために、2灯の間隔を開ける事になってますので、「減速」表示でも4灯式が必要になるわけです。「減速」と「警戒」の双方が必要な場合は、5灯式が使われます。 「信号なら道路と同じだからわかる」と思っていても、まだまだ奥が深いのが鉄道信号です。また機会があれば、このような安全システムも紹介したいと思います。
【週刊ノリスケ】 JR一豪華な各駅停車?
JRの普通列車に使われる車両には、いろいろあります。横並びに座るベンチ式のロングシート車が多いですが、4人が向かい合わせに座るボックスシートの車両もあります。なかには、2人ずつ進行方向を向いて座る転換式クロスシートなどのこともあり、このタイプだと特急料金を払わずに特急に乗せてもらえたかのような錯覚を覚え、得したような気分がしますね。 ところで、本当に特急用の車両を使う、お得な普通列車もあります。定期列車で特急用の車両を初めて使ったのは確か房総方面でした。電車特急が登場した1972年7月の改正から、千倉方面のローカル電車の一部に特急用電車が使用されレールファンの話題になりました。その後、運転区間末端が普通列車になる特急が現れ、さらに列車が増える通勤時間帯に特急車両を活用する例も増えてきました。この結果、今では特急料金を払わずに乗ることができる特急用車両の列車は、それほど驚くような事ではなくなっています。それでも少数派であり、時間帯も朝夕に偏っていて、地元に住んでいないと乗りにくい列車である事が多いです。 また特急用車両の普通列車は、特急料金は不要でも、通勤ライナーのように定員制でライナー券が必要だったり、全車指定席の場合もあります。また料金は不要でも、各駅停車ではなく快速列車の場合も多く、日中に特急用車両の各駅停車に乗ることが出来る場所は、意外と少ないです。 この数少ない場所が、信越本線長野~直江津です。ここで5往復走る「妙高号」は、指定席が連結されてるので、この写真の通り、特急のように列車の先頭には、列車名入りのマークが表示されています。使っている車両は、長野新幹線の開業まで、上野~長野・直江津を特急「あさま」として走っていた189系特急用電車ですから、速さを除けば、まさに特急並みの待遇ですね。 元々は、新幹線の開通により、その接続列車となる快速「信越リレー妙高号」として、長野~直江津に登場しました。列車の使命から、指定席が1両連結され、その後の停車駅の見直しで各駅停車の「妙高号」となった今も指定席の連結は続いています。このようなわけで、各駅停車にも関わらず、扉横の行先表示機に行先と並んで列車名も表示されるという破格の扱いです。 実際に乗り込むと、いささかくたびれてはいますが、特急として使われていた車内設備そのままで、「JR一豪華な各駅停車」と称してもおかしくないでしょう。長野方面に出かけることがあれば、話のネタにでも乗車されてはいかがでしょう?
【週刊ノリスケ】 最後の本格的鉄道連絡船~南海フェリー~
鉄道連絡船というと、今でも青函連絡船や宇高連絡船を思い浮かべる人は多いと思います。早いもので、この2航路が青函トンネルや瀬戸大橋の開通で廃止されてから、今年の春で20年経ちました。国鉄からJRグループに引き継がれた連絡船には、この廃止された2航路の他に、今も盛況である宮島航路があります。宮島航路は、昨年7月1日の記事で紹介しました。 鉄道会社の直営や系列会社で運航する航路は他にもあり、ある程度、鉄道との乗継に考慮している航路もあります。その中でも、青函連絡船や宇高連絡船ともっとも近い運航形態を残しているのが、和歌山港と徳島港を結ぶ南海フェリーでしょう。 南海フェリーは、南海電鉄の関連会社である南海観光汽船が、1956年に開設した和歌山港~小松島港(徳島県)の旅客航路が元になっています。この航路の開設に合わせて、南海電鉄では和歌山港線を開業しており、小松島港では国鉄小松島線(現在は廃線)の小松島港仮乗降場に連絡していました。南海から四国の国鉄線への連絡乗車券も発行されていましたので、本格的な鉄道連絡船と呼べるサービスで、「南海四国ライン」の愛称も付けられました。 1964年には、カーフェリーとなりましたが、鉄道からの乗り継ぎ客も多く、所用時間短縮のために、1983年には高速旅客船も投入されています。1985年には小松島線が廃止され、四国側での旅客乗継が不便になりましたので、高速旅客船は和歌山~徳島に変わりました。しかし、1998年の明石海峡大橋が開通すると、大阪から四国の各地に高速バスが開設されました。この影響で、残念ながら南海からの乗り継ぎ客はかなり減ったうえに、車の乗船も減ったようです。このため、1999年にはカーフェリーも和歌山~徳島に変わります。2002年には、利用減少によって、高速旅客船が廃止され、現在の姿に落ち着いています。ただ、フェリーの厳しい状況は続いており、その後も減便が繰り返されています。 このような厳しい状況ですが、和歌山港駅の設備や列車のダイヤは、今でも鉄道連絡船である事を物語っています。写真は和歌山港駅ホームから見た和歌山港で出航待ちをする南海フェリーです。実は、1971年に和歌山港のフェリー岸壁が移転し、合わせて南海和歌山港線も延伸され、和歌山港駅も現在の位置に移転しています。この時に、駅からフェリー乗り場までの連絡通路が整備されています。写真をクリックしていただくと大きくなるので、連絡通路が写っているのが判ると思います。駅舎直結の通路ですので、雨が降っていても濡れることなく乗船が可能です。また、南海の各駅から徳島港までの直通乗車券が発売されています。さらに、和歌山~和歌山港の中間にある駅は利用が思わしくないので2005年に廃止され、今の和歌山港線を走る列車は、全てフェリーとの接続列車で、特急が主力となっています。ということで、以前ほどの賑わいはないものの、南海電鉄の列車と密接な関係を保ちながら運航する本航路は国内、最後の本格的鉄道連絡船といえます。 徳島に行かれる事があるなら、南海と南海フェリーの乗り継ぎは、一度は使ってみる事をお勧めします。
【週刊ノリスケ】 2等でも快適! 阪九フェリーの2等指定A
フェリーというと、車での移動には便利だろうけど、車での遠出はしないので無縁だと思われている人もいらっしゃると思います。船は揺れるので、苦手といわれる方も少なくないでしょう。 そういう人にもお勧めしたいのが、関西と北九州/大分/別府を結ぶ瀬戸内航路のフェリーです。瀬戸内海は、古くから海運が発達していましたので、離島航路以外では珍しい客船の長距離航路が古くからありました。その伝統を引き継いだ長距離フェリーは、車無しで乗船するお客が今でも多く、港へのアクセスにも考慮されています。今では1万トンクラスの大型フェリーが主力で、波が穏やかな瀬戸内海ですので、揺れはほとんど感じません。 なによりも船で嬉しいのは、個室が多い事です。いろいろな人と触れ合う旅も魅力的ですが、列車でも「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」など個室主体の寝台列車が人気を集めるように、夜行ではプライバシーを保ちやすい個室に人気が集まるのも当然でしょう。 個室というと、グループで利用するイメージが強いのですが、瀬戸内海航路をはじめとする関西~九州の各航路では、多くの船に一人用の個室があります。 この中で私の一押しは、阪九フェリーの神戸~新門司航路に就航する「やまと」「つくし」にある2等指定Aです。実は、以前の同社2等指定は、単に場所が確保されているだけだったのですが、新しい船が登場するにつれて設備がよくなりました。 まずは独立性の高いカプセルホテルのベッドを備えた2等指定Aが登場しました。その次は、JRの個室B寝台のように隣室とのベッドを上下に重ねながらも完全な個室になった2等指定Aが登場し、最新の「やまと」「つくし」では、この写真のように狭いながらも通常のベッドを備えた個室になりました。写真には納まっていませんが、デスクの左端には洗面台が埋め込まれ、ベッドの足元方向にある棚には、テレビが備えられています。これだけのデスクがあれば、ちょっとしたデスクワークもできますし、寝酒もゆっくり楽しめます。2等でこのような個室があるのは、今のところ、この2隻だけです。 残念ながら、窓がない内部屋ですので、携帯電話が使える海域の航海ながら、室内では圏外になってしまいます。ただ、他社の船でも一人用個室で外に面しているのは特等が大半で、1等でも内部屋が大半ですから、これはやむを得ないでしょう。 なによりも、携帯電話にデジタルカメラなど、充電が必要な機器には、3箇所もあるコンセントが強い味方です。暖かい食事と生ビールが楽しめるレストランや大浴場も船旅の魅力ですね。 阪九フェリーの神戸でのターミナルは六甲アイランドにあり、JRの住吉駅、阪神の御影駅から連絡バス(220円)が出ています。北九州でのターミナルは新門司港にあり、こちらは門司駅・小倉駅に無料送迎バスが出てます。運賃は、最近の石油価格高騰の影響で、残念ながらこの9月1日から改定されましたが、それでも通常期の2等指定Aが11,100円です。しかも通常期なら、ネット予約してクレジットカードで決済すれば2割引です。「のぞみ」の新神戸~小倉が、普通車指定席で13,720円ですから、夕方の「のぞみ」で移動して、ビジネスホテルに泊まることを思えば、半額近くで済みます。 快適で安いとなれば、試してみる価値は十分ありますよ。
【週刊ノリスケ】 新岩国駅の“熱い1時間”
いま山陽新幹線で注目を集めているのは、11月30日限りで定期運転からの引退が予告されている0系電車です。これは、「団子っ鼻の新幹線電車」とも呼ばれる初代新幹線電車の正式名称です。1964年の東海道新幹線開業と同時にデビューし、1986年まで製造が続けられました。東海道新幹線では1999年9月に引退しましたが、山陽新幹線では少しずつ数を減らしながらも、活躍を続けていました。言うまでもありませんが、東海道新幹線開業当時の車両が残っているわけではありません。現在、山陽新幹線で活躍しているのは、座席の前後間隔を広くした0系2000番台と呼ばれる、1981年から新製をはじめた最終グループです。 山陽新幹線の0系は、新製当時のアイボリーホワイトをベースに、窓回りを青色とした塗装から、ライトグレーをベースに窓周りを濃いグレー、窓下にライトグリーンのラインを入れた山陽新幹線「こだま」専用塗装に改められていました。しかし、間近に迫った引退を前に、この春からデビュー当時の塗装に戻されています。最後に残った0系は、6両編成が3編成の合計18両です。1日に上下合わせて10本(しかも2本は小倉~博多の短区間)の運転ですから、偶然に出会うことはあまり期待できません。 0系と同様、いま注目を集める車両に、東京~博多を「のぞみ」で2往復するだけになった500系もあります。500系自体は8両編成となって山陽新幹線の「こだま」となる事が発表されていますので、近いうちに姿を消すわけではありませんが、高速で駅を通過する500系らしいシーンが見られなくなる日は近いはずです。 実は、この注目を集める2形式の電車、0系と500系を効率的に見る事ができるのが、11時台の新岩国駅なのです。 0系を使う上り「こだま638号」岡山行きが11時ちょうどに到着し11時12分発、同じく0系の下り「こだま639号」博多行きが11時29分着で11時33分発、さらに500系の下り「のぞみ9号」が11時48分頃通過します。50分ほどの間に0系の「こだま」2本に加え、500系「のぞみ」の通過も見ることができるわけです。この写真は、新岩国駅に進入する「こだま639号」です。 車両を見るだけなら、広島駅でこの3列車を見るほうが効率的ですが、広島だと500系は停車シーンになってしまいます。せっかくですから、500系は通過シーンを見たいですよね。 さらに新岩国駅は、最寄に錦川鉄道(元・国鉄岩日線)御庄駅があります。連絡通路まで整備されているのに、山陽新幹線開業当時に駅名を統一しなかった事で話題となりました。この事を知っている人は多いですが、実際に新岩国駅から御庄駅に乗り換えた人は多くないでしょう。「のぞみ9号」の通過を見送ってからでも、急げば御庄11時56分発の岩国行きに間に合うでしょう。これも貴重な体験ですよ。 お近くの人はもとより、宮島や錦帯橋の観光などでこの方面に行かれる機会があれば、話題の車両を見学してはどうでしょう。
【週刊ノリスケ】 700系新幹線のコンセント
東海道・山陽新幹線700系電車で、乗客用に提供されているコンセントの有無を見分ける方法は、昨年11月11日付の記事(【週刊ノリスケ】 新幹線「のぞみ」で電源を確保する方法)で取り上げました。これは、製造時期でコンセントの有無が決まっている点に着目して、製造順に付けられている編成番号を見れば、乗車前にコンセントの有無がわかるというものでした。今回は、乗車して、自席にいながら、コンセントの有無を見分ける方法はあるか? という点を説明しましょう。 結論を先に書きますと、コンセントの有無を見に行かなくても席に居ながらにしてコンセントの有無がわかります。 さて、以前の記事にも書いたとおり、東海道・山陽新幹線には乗客用コンセントが付いた車両が4種類あります。まずは窓下にコンセントがあるN700系。次に各車両の両端にコンセントがある山陽新幹線の「ひかりレールスター」700系とJR西日本に所属する700系16両編成、そして今回取り上げるJR東海に所属する700系16両編成の一部です。一部といっても60編成中36編成ですから半分以上にコンセントがあります。 JR東海の700系の場合、椅子の背もたれに取っ手があるかどうかでコンセントの有無がわかります。実は、コンセントがない初期の24編成には、この取っ手がありません。通路を移動する人や立っている人が掴めるように取っ手を付け、コンセントを求める声に応えてコンセントが付けられたのです。 「700系のコンセントなんていままで気付かなかった」と言われる人も多いと思いますので、そのコンセントの写真を載せておきました。(見易いようにプラグは挿してません)見ての通り、テーブルが大型になっており、パソコンを使いやすくなっています。写真のパソコンは、サブノートなどとも呼ばれる一般的なノートパソコンよりも一回り小さなサイズですが、出張に持ち歩くのは、このタイプが一般的ですから問題ありません。テーブルの間にコンセントがあり、けっこう目立ちます。振動で抜けないように、プラグを回しながら差し込むロック式コンセントを採用するなど気遣いも十分です。 これで、事前にどの列車に使われるかがわかれば言うことはないのですが、こればかりは無理です。700系を使う列車は時刻表でわかっても、どの編成を使うかが決まるのは概ね前日だそうなので、仕方ないですね。実は、この車内の写真を以前から狙っていたのですが、偶然を期待しているとなかなかこないもので、けっこう時間がかかりました。
【週刊ノリスケ】 78歳の電車を見てきました
路面電車を除き、国内で営業運転が可能な現役最古級電車の1両である一畑電車のデハニ53号を見てきました。この車両は、1928年から4両製作されたデハニ50形の1両で、車籍を得たのは1930年1月21日だと記録されています。なお実際に工場で完成したのは1929年のだったようで、1929年製と紹介されることも多いです。とにかく、78歳のベテラン電車であるのは間違いありません。 この電車、1928年に登場した同形のデハニ52号と共に、国内最後となった手動扉の電車です。すでにかなり前から第一線は退いており、古い電車に乗ることを目的にした貸切列車で使われることが多くなっていました。今年の春、老朽化のために本年度限りで現役を退くことが発表され、そのために貸切の申し込みが急増したと新聞で話題にもなりました。 個人や少人数で乗りやすい機会は、毎年恒例のビール電車「酔電」です。例年なら8月一杯で運行が終わりますが、引退決定で人気が高いようで、今年は9月15日まで運行期間が延長されました。運行期間の内、毎週金曜日は定期運行で個人単位で申し込みが可能です。その他の日は、運転されない場合や貸切ビール列車となる場合もあるようです。すでに、最後の定期運行日である12日は満席で、乗るのはもう難しそうです。ただ、通常の貸切列車では走る時刻を事前に知るのが難しいところ「酔電」は決まった時間に現れますので、電車を見るのが目的でも、絶好の機会なのです。この写真も、「酔電」のために車庫のある雲州平田から松江しんじ湖温泉へ回送の前に待機中の様子を撮ったものです。 さらに、11月8・15・16・22・23・24日にはJRの安来~松江開業100周年イベントに協賛して、デハニ52号と同53号の2両連結で臨時運行を行うことが発表されました。乗車するには事前の申し込みが必要ですので、詳しくは同社のホームページ(http://www.ichibata.co.jp/railway/)をご覧ください。 同年代の車両は他社でもほとんど残っておりませんし、残っていても走る機会は限られています。出雲地方に行かれる機会があれば、乗車したり、見学されてはいかがでしょう?
【週刊ノリスケ】 生き残ったケーブルカー
斜面に敷設された線路の上を、ワイヤーロープ(鋼索)に引かれて車両が上下するケーブルカーも、法令上は鉄道の一種です。専門的には鋼索鉄道と呼ばれ、国土交通省鉄道局が管轄しています。全国の観光地に点在しており、その多くが戦前派です。長い歴史をもつ路線でも、観光客の好みの変化により、廃止されるところもあります。 最近、廃止の可能性が高いと報じられたのが、別府ワンダーラクテンチという遊園地のケーブルカーでした。九州唯一のケーブルカーで、全長は254mです。井戸の釣瓶式に2台の車両が交互に上下する本格的なケーブルカーとしては、国内最短として知られていました。この路線は、戦前に開設された別府遊園地への輸送施設として、1929年9月に開通しました。太平洋戦争中に不要不急の路線として、一時廃止されましたが、残された施設を整備して、1950年に復活しています。別府ケーブルラクテンチという名称で、長らく親しまれていましたが、利用者の減少に苦しみ、2003年に遊園地遊具のメーカーであり、遊園地の再生事業にも取り組む岡本製作所に買収され、現在の別府ワンダーラクテンチと改称され、遊具の増設などてこ入れを図りました。 しかし、状況はあまり好転しなかったようで、この7月に同社は、この8月一杯で閉園する方針を発表しました。来年9月の開業80周年を目前に、ケーブルカーに廃線の危機が迫ったのです。しかし、九州での新聞報道によると、8月中旬までに地元の不動産・観光会社九州観光ホームが事業を引き継ぐことが決まったそうです。遊園地の名称も旧の別府ケーブルラクテンチに戻すそうです。これで無事に開業80周年を迎えられそうです。
【週刊ノリスケ】 修学旅行用カラーリングのディーゼルカーが復活中
みなさんが修学旅行で利用された交通機関は、何でしたでしょうか?筆者の場合は、小学校がバス、中学校が新幹線、高校が船で、在来線列車の利用はありませんでした。新幹線利用が当たり前になり、在来線での長距離旅行が珍しくなりつつあった筆者の育った時代が反映されていますね。 列車を利用した修学旅行は古くからあったそうですが、修学旅行専用の臨時列車の登場は1950年頃でした。そして、1959年には、修学旅行専用車両による修学旅行専用列車が登場します。専用車両は、ほとんどが電車でしたが、後にはディーゼルカーも登場しました。電車もディーゼルカーも、塗り分け方が異なるだけで、同じ朱色と黄色を使ったツートンカラーでした。この写真は、イベントのために塗装だけ修学旅行用を再現したキハ58系ディーゼルカーです。修学旅行用電車とは窓回りと車体下半分を逆にしたような塗り分けになってますが、若々しい派手めの色は共通ですので、電車のほうをご存じの方も懐かしいと感じられるでしょう。 この車両を使って仙台と新庄を陸羽東線経由で結ぶ「おもいで湯けむり」号が、9月末までの土日祝日に運転されています。車内はリクライニングシートに改装されており、冷房も付けられるなど、修学旅行用当時のサービスとはかなりレベルが違います。懐かしむのは見た目だけで十分で、乗るのは快適な車内のほうが嬉しいですね。見た目といえば、列車の前後に付けられている「おもいで」のヘッドサイン。これも、当時の東北地区と東京を結ぶ修学旅行用列車「おもいで」号に付けられたものの復元です。 JRと宮城県などの観光関係者では、10月から12月まで大型観光キャンペーン「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」を開催します。この車両の塗装復元は、これでの活用も念頭にあるそうですから、10月以降も活躍が見られると思います。ただ、自動車でいう車検にあたる全般検査が12月までだそうなので、その後にどうなるかは判りません。年内に見ておきたい車両です。
【週刊ノリスケ】 約30年ぶりに新車が配置されたJR西日本福知山支社
JR西日本といえば、最高速列車としてギネスブックにも掲載された新幹線500系電車をはじめ、関空快速や新快速用の223系など高水準の車両を投入してることで知られています。しかし、その一方でローカル線も多く抱えているため、全線区にくまなく新車が行き渡ってはおらず、国鉄時代に製造された車両もまだまだ活躍しています。 そのようなエリアの一つが、福知山支社管内です。同支社には、JRとなってから国鉄時代の車両を大幅に改装した車両は配置されていますが、JRとしての新車は1両も配置されていませんでした。それどころか京阪神方面から直通してくる列車も、つい最近まで国鉄時代に作られた車両ばかりでした。JRとなってから登場した車両は、たまに臨時列車でみかけるぐらいでした。隣接する金沢支社管轄の小浜線が電化され、新形の125系電車が投入されると、差がますます目立つようになりました。その上、車両検修設備の関係で、この125系電車は、新製当初には福知山運転所(現・福知山電車区)へ配置されたため(現在は敦賀に配置)、福知山支社としては期するところがあったようです。 このような状況で、福知山支社にこの夏ようやく登場した新車が、この223系5500番台電車です。京阪神で新快速に使われる223系2000番台電車を原型にワンマン運転対応としたもので、JRの普通・快速用電車ではトップクラスの設備といえます。主に山陰本線園部~城崎温泉、福知山線篠山口~福知山、舞鶴線で使われる予定で、すでに7月下旬から営業運転を開始しています。 このエリアに配置された新車は、国鉄福知山鉄道管理局時代の1977~1981年に順次投入されたキハ47形ディーゼルカー以来、実に27~31年ぶりになります。このキハ47形は、全国のローカル線用ディーゼルカーの老朽化対策とサービス水準を向上させるために開発されたキハ40系ディーゼルカーの一員で、その全国で初の配置でした。しかし、その後しばらくは、ローカル線用の車両の新製はなく、JR化の直前に新製されたローカル線用車両は、経営基盤が弱い北海道・四国・九州を中心に配置されたため、福知山鉄道管理局は取り残されてしまいました。 JR西日本となってからも、地方線区での独自での新車は閑散線区の経営改善用に開発された小型ディーゼルカーのキハ120のみでした。瀬戸大橋の快速「マリンライナー」と大阪近郊エリアでも、独自に普通列車用の新車を投入していますが、それ以外の線区では、沿線自治体などからの補助を受けた線区改善計画の一環としての登場した新車しかありません。 ところが、今回の新車は補助を受けていない独力での車両の置換えで、特筆できるケースです。これが、他のJR西日本支社でのモデルケースとなり、普通列車用車両のグレードアップにつながって欲しいと楽しみにしています。
【週刊ノリスケ】 おサル見物はモノレールで!
全国各地にあるニホンザルが名物の観光地の中で、代表的な場所の一つが大分市の高崎山です。高崎山は、大分市と別府市の境界にある山で、別府湾に面しています。海に迫る山麓の僅かな平地を国道とJR日豊本線が通ります。駅があれば便利だと思うのですが、残念ながらありません。1972年までは、国道に沿って別大電車と呼ばれた大分交通別大線が通ってましたので、電車で行くことができたはずです。 さて、高崎山のサルは、野生のサルによる農作物の被害を減らすとともに、これを観光資源とするために、1952年から餌付けが試みられました。当初のリンゴによる餌付けは上手くいきませんでしたが、餌をサツマイモに変えたら、成功したそうです。これにより1953年3月に高崎山自然動物園がオープンしました。同9月には阿蘇国立公園の一部となり(のちに瀬戸内海国立公園に変更)、さらに同11月には天然記念物に指定されました。 別府という地の利にも恵まれて知名度が上がり、多くの来園者を集めるようになりましたが、餌付けを行う餌場は、少し高い場所にありますので、坂道か石段を登る必要があります。そのため、体が不自由な方などには不便でした。そこで、開園50周年の2003年に登坂用設備を作ることが決まり、翌2004年3月26日に小型モノレール「サルっコレール」が開通しました。当時の新聞によると、総工費は約1億7300万円だったそうです。小型と言っても2両編成で40人乗りですから、中型バスと同じ程度の人を運ぶことができます。モノレールですが、園内の乗り物ですから、正式な鉄道ではありません。 急勾配を登るために、レールには歯が刻まれており、車輪の歯とかみ合って登っていきます。1963年まで信越本線の碓氷峠で使われていたアプト式と同じ理屈の方式です。この手のモノレールは、高齢者の増加やバリアフリー化の要請が強まっているので、全国的にかなり増えています。 この写真は、終点に近づくモノレールです。乗っていると線路のそばまでサルがたくさんいますので、サルを見に来たはずが、サルに見られるために来たような感じも受けます。サルや眼下の別府湾を眺めているうちに、餌場の近くに到着できますから、100円という料金の安さも手伝って人気を集めています。
【週刊ノリスケ】 10年目を迎えた「富良野・美瑛ノロッコ号」
富良野・美瑛といえば、いまや北海道を代表する観光地です。四季を通じて見どころが多い場所で、初夏から夏にかけてはラベンダーの花が知られています。中でも中富良野のファーム富田のラベンダー畑が有名です。 今は観賞用としてのラベンダー栽培が盛んですが、元々は化粧品などに使う香料の原料とするラベンダーオイルを抽出するために栽培が始まりました。富良野地方がラベンダー栽培の中心となり、1970年に最盛期を迎えたそうです。しかし、合成香料製造技術の進化と共に、貿易の自由化で安価な輸入香料が増えたため、1972年にラベンダーオイルの買い付け価格が下がり、翌年には買い付けが中止されたため、ラベンダー畑は壊滅状態になったのだそうです。 この状況でも、ファーム富田では細々と栽培が続けられていました。ここのラベンダー畑を前景にした富良野線ディーゼルカーの写真が、1976年の国鉄カレンダーで採用されたため、全国的に有名になり、写真愛好家や観光客が花を目当てに訪れるようになったそうです。ラベンダー観光には、富良野線が最初から大きく関わっていたといえます。 その後、TVドラマ「北の国から」などをきっかけとする富良野ブームも手伝って、富良野・美瑛地区はすっかり定番観光地になってます。 そのため、JR北海道でも観光客向けに臨時列車を走らせるようになりました。その主力が1998年7月1日から運転を開始した「富良野・美瑛ノロッコ号」です。JR北海道では、1989年から釧網本線で「くしろ湿原ノロッコ号」というトロッコ列車を走らせていましたが、1998年にそれまで使っていた貨車改造のトロッコ車両に代わり、客車の側面をオープンに改造した新車両が登場しました。この結果、従来の車両を富良野線に転用して走り始めたのが「富良野・美瑛ノロッコ号」です。 翌年には、こちらも客車を改造した車両に変わり、さらにファーム富田の近くに臨時駅「ラベンダー畑」を開設しました。この写真は、この駅に停車する今年の列車です。列車の最前部と最後部に付けられたヘッドマークとテールマークが10周年記念バージョンになっています。 ラベンダーは間もなく開花期が終わりますが、列車は9月になっても週末に運転されますし、ファーム富田では、ラベンダーの季節が終わっても、サルビア、コスモスなど秋の花が見事です。機会があれば、「ノロッコ号」でファーム富田観光はどうでしょう。
【週刊ノリスケ】 鉄道の町「福知山」の駅前で保存される蒸気機関車
京都府北部の福知山市といえば、国鉄時代に鉄道管理局が置かれていた都市としてご記憶の人も少なくないでしょう。ほとんどの鉄道管理局は県庁所在地クラスの都市に置かれるなか、福知山市は都市規模が小さく、それだけ国鉄への依存が大きかった都市と言えそうです。鉄道管理局だけでなく、車両基地である福知山機関区(後に福知山運転所)も置かれ、国鉄においては北近畿地区の要でした。現在でも、JR西日本福知山支社や北近畿地区の電車を一手に引き受ける福知山電車区が置かれる重要な場所です。 この写真は、福知山駅南口公園に保存されているC11形蒸気機関車の40号機と福知山運転所で使われていた転車台(ターンテーブル)です。同公園は、2005年11月に完成した福知山駅高架化工事で誕生した南口駅前広場に隣接して整備されており、まさに駅の真正面です。駅の近くで保存される蒸気機関車は少なくないですが、これだけ目立つ場所なのはそれほど多くありません。また、蒸気機関車に付き物の転車台とペアでの保存は少なく、さらに転車台にこれだけ注目した展示も珍しく、まさに鉄道の町に相応しいモニュメントです。 「鉄道の町」というイメージは地元でも幅広く知れ渡っており、南口公園を鉄道の町をイメージして整備するというのは市民から出た提案だったそうです。 このC11形40号機は、廃止された国鉄篠山線ゆかりの機関車として兵庫県丹南町(現・篠山市)の公民館前で保存されていました。しかし、公民館は廃止されており、南口公園での展示品を探していた福知山市が移転を申し入れ、2007年1月に福知山に運ばれました。屋外展示でかなり痛んでいたため、復元工事を行い、2007年7月に南口公園に据え付けられ、周辺の整備を行い、今年の4月12日に公園がオープンしました。この40号機は、篠山線で使っていた時代の所属は福知山機関区だった、福知山にも縁のある機関車です。 公園には東屋も整備されており、こちらの柱は高架になる前の福知山駅ホームの屋根を支えていた柱だそうです。福知山線の前身である阪鶴鉄道のレールを転用した柱で、これも貴重品です。 駅からすぐですから、機会があれば、ぜひ見学してください。
【週刊ノリスケ】 最後の夏を迎えた名鉄犬山モノレール
名鉄犬山線犬山遊園駅からモノレールが出ていることをご存じの方も多いでしょう。この写真のように目立つ装いですが、遊園地の乗物ではなく、国土交通省が管轄する正規の鉄道路線です。跨座式鉄道という分類ではありますが、れっきとした名鉄の支線です。場所柄、犬山モノレールと呼ばれることが多いですが、正式な路線名は「モンキーパークモノレール線」です。 モノレールには、大きく分けて2つの方式があります。一つは、ここや羽田空港に行く東京モノレールのようにコンクリート製の太いレールにまたがって、その上を走る「跨座式」。もう一つが、大船と江の島を結ぶ湘南モノレールや千葉市内の千葉都市モノレールのように、鋼製の箱型のレールにぶら下がる形の「懸垂式」です。実は、このどちらもヨーロッパのメーカーが開発した方式を日本のメーカーが技術提携したものです。 国内で正式な鉄道路線として開業したモノレールの第1号として知られる、上野公園内にあるモノレールは、懸垂式と分類されています。ただ、前述の湘南モノレールなどと異なり、コンクリートの太いレールの上を走るゴムタイヤの台車から、太いアームでレールの下側にある車体を支える構造ですから、見方によっては跨座式と懸垂式の中間のような構造です。この上野のモノレールは、東京都交通局を中心に東芝と日本車輌の協力で独自に開発した方式で、1957年に営業を始めました。この当時、後に国内に導入することになるヨーロッパ生まれの前述した2方式は開発中のため、独自開発しか手段がなかったようです。結局、この方式は上野公園だけで終わってしまいました。 さて、犬山モノレールですが、ここは日本で2番目に正式な鉄道路線として開業したモノレールです。西ドイツのアルウェーグ社が開発した技術を日立が提携し、日立アルウェーグ式として国内で建設した初めての路線となります。当時の土川名鉄副社長が、欧米視察時に現地の実験線で試乗し、モノレールに関心をもったそうです。 名鉄は、犬山遊園駅東方の丘陵部を犬山自然公園として整備しており、その中心部のピクニックランドへの交通機関として、1958年に「おとぎ列車」という遊戯鉄道を開通させていました。このピクニックランドをラインパーク(現・モンキーパーク)と改称し、当時木曽川沿いにあった犬山遊園地に代わる一大遊園地にしようと整備中でした。その一環として、多数の来園者をスムーズに運ぶため、急坂にも強いモノレールを導入することになり、1962年3月に開業しました。その後、名鉄では岐阜~養老など総延長約41キロのモノレール線の路線免許を申請していますので、遊園地の乗物とせずに、あえて正式の鉄道路線として申請する事を選んだのかもしれません。 東京オリンピックに合わせて、都心と羽田空港を日立アルウェーグ式モノレールで結ぶ計画が具体化すると、名鉄に支援の要請があり、東京モノレールに出資すると共に多くの社員を出向させています。 東京モノレールは、開業当初のものめずらしさが薄れると経営内容が悪化し、経営再建のために日立が全面的にバックアップする事になったため、名鉄は手を引きます。世界的なモノレールの成功例であり、今ではJR東日本も資本参加するほどの成長を遂げた同線の礎になったのが、この犬山モノレールだったのです。 このように日本のモノレール史において、重要な役割を果たした路線ですが、残念ながら近年では、利用が低迷しており、名鉄では今年の12月27日で営業を終えると発表しました。あと五ヶ月余りで、この姿を見ることができなくなります。3両編成が2組あり、写真とは塗装がまったく違う編成もありますから、お名残には双方に乗ってみたいですね。 また、この7月14日から8月31日まで、名鉄資料館で「夏季企画展 さようなら犬山モノレール」を行い犬山モノレールと東京モノレールの資料で両線を紹介するそうです。名鉄資料館は、土休日が閉館の上、見学には事前予約が必要ですが、7月27日と8月31日の日曜日は特別開館し、予約は不要だそうです。名鉄資料館について詳しくは、名鉄のホームページ(http://www.meitetsu.co.jp/)を御覧下さい。
【週刊ノリスケ】 この夏で見納め! 道内夜行特急
北海道は、本州の約半分ほどの面積があるのですが、行ったことがないと、その広さをなかなか実感できないようです。筆者はこういう人に説明する時、少し前まで「札幌から各地に夜行列車があるくらい、それぞれの都市は離れているんですよ」と説明し、「へぇ」と驚かれることも多かったです。 その一方、札幌から稚内・網走・釧路・函館と各方面に走る夜行列車を宿代わりにして、北海道を経済的に効率よく回る旅行を経験された方も少なくないでしょう。国鉄時代の北海道は昼行の特急が今よりも遅く、時間を有効活用するために夜行を使う人も多くいて、活況を呈していました。 このように活用されていた北海道内の夜行列車のうち、函館方面への列車は青函トンネルの開通に伴い青森まで足を伸ばし、夜行急行「はまなす」となりました。青森では東北本線の特急を介して東北新幹線に接続しています。 この時には、札幌から稚内、網走、釧路への道内で完結するその他の夜行急行は健在でした。その後、各列車は順次ディーゼルカーが寝台車を真ん中に挟む編成になった上、特急に格上げされました。しかし、夜行列車の利用が次第に少なくなったため、2006年から2007年にかけて臨時列車に格下げされました。そして、今年の4月にJR北海道は、札幌~稚内の「はなたび利尻」、札幌~網走の「オホーツク」(夜行)は今後運行せず、札幌~釧路の特急「まりも」は、この夏の運転を最後にすると発表しました。これで、北海道内で完結する夜行列車は無くなることになります。 この写真は、6月下旬に撮影した「まりも」です。ディーゼルカーの塗装に合わせているので目立ちませんが、3両目が寝台車です。北海道でしか見られなかった、ディーゼルカーと寝台車による列車も、8月31日に札幌と釧路を出る「まりも」で見納めです。
【週刊ノリスケ】 旭山動物園に行っていた日本最北の私鉄電車
旭山動物園といえば、いまや日本を代表する動物園として知られ、北海道でも有数の観光施設です。旭川市中心部から東方約10キロに古くからある旭山公園に隣接して、1967年にオープンしました。 旭川市が動物園をこの地に設置したのは、市民の足となる私鉄が、中心市街にある旭川四条から旭山公園まで通じていたのが理由の一つに挙げられているそうです。この私鉄が、いまでは旭川の大手バス会社である旭川電気軌道です。 同社の路線は、会社名が示すように、地方鉄道法(現・鉄道事業法)による鉄道ではなく、軌道法による軌道でした。軌道とは、路面電車のように道路にレールを敷く事を原則とする鉄道で、戦前は内務省と鉄道省、戦後は建設省と運輸省が、共同で監督してきた交通機関です。今では建設省と運輸省が合併しましたので、監督官庁は国土交通省に一本化されましたが、軌道は道路の一部でもあるという扱いは変わりません。路面電車のほとんどが軌道法により建設されているほか、見た目は本格的な鉄道でも、歴史的経緯から軌道法による路線という例もあります。 さて、写真の静態保存車両は、ここ旭川電気軌道で走っていたものです。ご覧のとおり本格的な鉄道用の電車でした。しかし、法律上は路面電車と同じ軌道の扱いで、実際、起点近くの旭川四条と旭川追分の間では、一般的な路面電車のように四条通の中央を通っていました。旭川追分で東川に向かう東川線と旭山公園に向かう東旭川線の2路線に分岐していました。旭川市には旭川市街軌道という一般的な路面電車を運営する私鉄もあり、こちらのほうが旭川電気軌道よりも北に路線がありました。しかし、こちらは全線が道路上を走り車両も路面電車タイプであったためか、全線廃止が1956年と早かったためか、レールファンの間では、旭川電気軌道を最北の電化私鉄と呼ぶことが多かったようです。 1972年大晦日を最後に東川線と東旭川線の双方で運行を終えた旭川電気軌道ですが、今も残っていれば、人気の旭山動物園への足として活躍したことでしょう。動物園の人気の高まりで、行楽期の道路は大渋滞と聞きますので、今まで生きながらえていれば・・・と残念に思います。 写真の保存電車は、動物園に割と近い、東旭川公民館の敷地内にありますので、動物園の帰り道に立ち寄って、ご覧になってはどうでしょう。
【週刊ノリスケ】 神戸電鉄に14年ぶりの新形車登場
この6月4日、神戸市街地から六甲山を超えて有馬温泉などを結ぶ神戸電鉄で、1994年3月にデビューした5000系電車以来、14年ぶりに登場した新形電車6000系が営業運転を開始しました。同線は、六甲山を越えることから、国内でも屈指の山岳路線として知られています。 写真は、営業運転を前に関係者等向けに公開された際の6000系電車です。 これまでの神戸電鉄では、従来のスチール製車体に代わってアルミ製車体を採用した3000系電車が1973年に登場して以来、1991年登場の2000系電車、続いて登場した5000系電車とアルミ製車体でしたが、この6000系電車では同社で初めてステンレス製車体になりました。 ステンレス車体を採用することで、無塗装化が可能になり、車体製造時や保守時の環境汚染の可能性を減らしています。無塗装ですので、ステンレスの地肌の銀色が基調で、アクセントに細い赤帯とそれよりもやや太い金帯と黒帯のテープが貼られています。 アルミ製車体の3000系電車もクリアラッカー仕上げでアルミの地肌を生かしたデザインでしたが窓回りなど赤い塗装の部分も多く、6000系電車とはかなりイメージが異なります。2000系・5000系電車はアルミ車体でも、全面塗装のデザインでしたので、銀色の地肌は見えていません。つまり、6000系は、同社電車のイメージを一新する初めてのデザインになっています。 さて、冒頭で「屈指の山岳路線」と神戸電鉄を紹介しました。先日、6月1日付の記事で近鉄奈良線を「実は本格的な山岳鉄道並みの急勾配が連続する、厳しい条件の路線」と紹介しましたが、どう違うのでしょうか。近鉄奈良線の場合、最急勾配は法令上の上限である35‰(=35パーミル、1000m進んで35mの高度差が生じる坂)です。この急勾配が連続するので、法令の基準内とはいえ、走る電車には平坦な路線に比べかなり厳しい条件になります。一方、神戸電鉄の最急勾配は、政府の特別認可を得た50‰となっており、これは登山鉄道と呼ばれるような観光路線並みの特殊な規格になります。 他社では、南海高野線の末端である橋本~極楽橋でも見られますが、同社の場合は、この区間専用の装備を持った一部の電車しか入線できません。大都市圏の鉄軌道ながら、本格的な電車よりも一回り小さな電車を使う区間では、京阪京津線や叡山電鉄にも50‰を超える区間があります。 この6000系電車も、急勾配対策が盛り込まれています。まずは、4両編成全ての車にモーターが付いていることです。モーター付きの車両は、勾配を上るのに有利であるほか、自動車のエンジンブレーキのようにモーターを使う電気ブレーキや回生ブレーキになりますので、坂を下るときにも有利なのです。この電気ブレーキというのは、モーターを発電機にして、抵抗器でその電気を消費させることでブレーキにします。抵抗器に代わり発生した電気を架線に戻して他の電車が使うと回生ブレーキになります。回生ブレーキは省エネになりますので、最近では多くの電車に搭載されています。ただし、電気を使う列車が近くを走っていないと、ブレーキが効きませんので、この場合は、空気ブレーキで対応するのが一般的です。この方式は、神戸電鉄ほど急勾配が多い路線では、空気ブレーキの負担が大きく安全上好ましくありません。そのため、この6000系電車では、抵抗器も積んで回生ブレーキが効かないときには電気ブレーキに切替えるようになっています。 このような急勾配対策のほか、隣の車両に通じる貫通路の扉が自動化されるなど、旅客サービスも向上した車両になっています。今後の追加製造は、未定だそうですが、さらに増えると神戸電鉄のイメージが一新されそうな電車です。
【週刊ノリスケ】 引退が進む名鉄の“元祖”パノラマカー
写真の名鉄7000系電車は、日本で初めて前面展望室を設けた電車として知られています。前面展望室にするために、運転室を2階に上げ、1階は最前部まで客席となっています。側窓も継ぎ目だけでガラスが並ぶ連続窓となっていますので、横方向にも開放感があります。車体は名鉄スカーレットと呼ばれる真っ赤な色に塗られ、特徴ある形も手伝ってとても目立ち、いま見ても古くささを感じない印象的な外観の電車に仕上がっています。 登場した1961年当時は、冷房付きの鉄道車両といえば、国鉄の特急専用車両と食堂車や一部の寝台車ぐらいで、1等車(今のグリーン車)や2等寝台(今のB寝台車)でも、急行・普通用では冷房がないという時代でした。私鉄では、近鉄の有料特急用電車などに冷房があった程度です。しかし名鉄では、このパノラマカーに先立って1959年に登場した特急用5500系電車から冷房付きで登場しています。名鉄の場合、特急と言っても特急料金は不要でしたから、車両も特急用と言いながら、特急以外にも幅広く使われており、冷房付きはまさに破格のサービスでした。 このようにサービスレベルの高い車両ですが、名鉄では大量に投入し、1975年まで合計116両を新製しました。外観のよく似たマイナーチェンジ版の7500系も、1963年から1970年にかけ72両が新製されています。この結果、特急だけではなく急行や普通でも多く使われました。 前面展望の電車というと、1963年に登場した3100形(NSE)に代表される小田急ロマンスカーも有名ですが、小田急の場合は有料の特急に限定しての運転です。豪華さでは小田急に一歩譲りますが、名鉄の方が気軽に利用できました。ただし、どの列車がパノラマカーなのかが分かりにくいというデメリットもあり、日本を代表する前面展望電車として名鉄7000系と小田急3100形は甲乙つけがたい存在でした。このため、1960年代の電車をテーマにした絵本などでは、必ずといえるぐらい両車は紹介されており、名古屋に縁がないお子さんにも、名鉄パノラマカーの存在は広く知られていました。 この名鉄パノラマカーも、デビューして47年。最後に作られた車両から数えても33年です。このところ急速に廃車がすすんでいます。すでにマイナーチェンジ版の7500系は、2005年8月に引退してしまいました。2008年4月現在で残る7000系は54両で、最盛期の半数以下になっています。さらに1週間後の6月29日に、名鉄ではダイヤ改正を予定しており、さらに7000系の運転が少なくなると言われています。公式な引退発表こそまだありませんが、マスコミを通じて来年2009年をもって、7000系を全車廃止の予定という事は報じられています。名鉄7000系を未体験の人も、思い入れがある人も、体験できる期間は、そう長くはないようです。
【週刊ノリスケ】 最後の都心地下鉄? 東京メトロ「副都心線」開業!
昨日、6月14日に池袋~渋谷の東京メトロの新線が開通しました。同線は、副都心線と名付けられましたが、新しく開通した区間だけでなく、これまで有楽町線新線と呼ばれていた小竹向原~新線池袋や直通運転を行う有楽町線和光市~小竹向原(共用区間)も合わせ、和光市~渋谷の全体を指した名前になります。 この開業により、東京メトロでは建設中の路線はなくなりました。都営地下鉄も2000年の大江戸線開業で、建設中だった路線は全て開通しており、東京都内での地下鉄建設はこれで一段落です。構想というレベルでの地下鉄新線は、有楽町線の豊洲で分岐して、住吉で半蔵門線に合流、押上から新線で北上する案がありますが、具体化するかどうかも現時点でははっきりしません。仮に実現しても都心部の路線ではありません。副都心線は都心最後の地下鉄新線になるかもしれません。 なお、純粋な地下鉄ではありませんが、2012年度を目標に東急東横線が副都心線と直通運転を行うために、代官山から渋谷までを地下化する工事をおこなっています。この工事が完成すると、高架上にある現在の東横線渋谷駅は廃止されて、副都心線渋谷駅から東横線の全列車が発着する事になります。 さて、副都心線の特徴として、都心部の地下鉄路線では珍しい急行運転を行うことがあげられます。東京メトロでは、東西線の東陽町~西船橋で古くから快速を運転していましたが、これは千葉方面と都心を短時間で結ぶために、その中間部を通過運転を行うという考え方で、都心部では各駅停車です。都心部の地下鉄で急行運転を行う先例としては、都営新宿線があります。同線では、東西線と同様に千葉方面で通過運転を行うため、瑞江に追越設備が設けられていました。さらに、都心部の急行運転のため、岩本町にある折返し線を追越用に使い、大島の車庫出入り線も利用しています。本来の追越施設ではないので、ラッシュ時には急行運転ができません。 これに対して、副都心線では当初から通過運転を行うことを前提に、東新宿駅に追越設備が設けられています。このため、データイムの急行が1時間4本であるのに対し、朝ラッシュ時の急行は1時間に8本と倍増しています。これまでの地下鉄とは、一味違った路線といえそうです。 副都心線には、これまで有楽町線で使われていた電車が乗り入れます。中でも、2006年9月にデビューした10000系電車は、副都心線での使用も考えて設計された車両です。有楽町線開業時に作られた7000系電車や西武や東武の有楽町線乗入れ用の電車は、副都心線用の設備を搭載する改造を行います。しかし、10000系の登場まで、東京メトロの有楽町線用電車で最も新しかった写真の07系電車だけは、副都心線に乗り入れません。それどころか、有楽町線での使用も取りやめになり、すでに大半の車両が東西線に転用されています。これは、副都心線では転落事故防止等を目的にホームドアが設けられ、他の車両とドア位置が微妙に異なる07系電車はそれに対応できないからです。 新線の開業をきっかけに古い電車が引退する事は、よくある話ですが、こんなに新しい電車が使えなくなるというのは珍しいですね。
【週刊ノリスケ】 さらば鶴丸のJAL機
「鶴丸」といえば、約半世紀の間、日本航空(JAL)で使われていたシンボルマークです。社章として使われた時期もあり、鶴が翼を上げて日の丸のようなシルエットになったデザインは、日本らしさと航空会社らしさをよく表した優れたものでした。 筆者自身も、小学生の頃に、尾翼のマークが鶴丸マークとなったのを覚えている世代ですので、すっかり見慣れてしまい、正直言って、いまだにJALのイメージといえば鶴丸です。 このマークが登場したのは1954年で、パンフレットや客室の備品などから使い始めたそうです。1959年には、商標として登録され、1960年には機体にも描かれるようになっています。この当時は、尾翼には日の丸が描かれていましたので、鶴丸は扉の横でした。1965年には社章として登用され、1970年のジャンボジェット機導入時に合わせて機体デザインを一新し、尾翼に大きく描かれるようになりました。1989年に新デザインになったときにも尾翼の鶴丸は残されました。ただし、JALのロゴの書体は変わっています。 しかし、2001年に日本エアシステムとの経営統合を合意したことから、2002年11月に新しい機体デザインが発表され、鶴丸マークが機体から消えることが決まりました。それから6年近く経ち、いよいよ鶴丸マークが付いた最後の機体が塗り替えられることになりました。 最後まで残ったのは、国際線用B767-300型・国内線用B777-200型の各1機で、国際線は5月30日に厦門から成田までのJL608便が最後、国内線は5月31日の伊丹から羽田までのJL138便が最後でした。今月からは、この写真の鶴丸マークのJAL機はもう見られません。 さようなら鶴丸マークの飛行機!
【週刊ノリスケ】 近鉄奈良線に阪神電車現る
さる5月20日、この写真の通り近鉄奈良線で、阪神電鉄1000系電車の試運転が初めて行われました。左側の電車が近鉄の急行、右側の電車が試運転中の阪神1000系です。 阪神西大阪線の西九条駅と近鉄難波駅を結ぶ「阪神なんば線」が、2009年春の開業を目指していま建設中です。開業と同時に「近鉄難波」駅が「大阪難波」駅と改称され、阪神「西大阪線」は「阪神なんば線」と統合されますので、阪神尼崎~大阪難波が「阪神なんば線」となります。同線を使い、神戸の阪神三宮駅から近鉄奈良駅までの直通運転が始まります。 阪神1000系は、この直通運転用に阪神が新造中の新形電車で、先に落成した車両は、阪神線内や山陽電鉄に直通する「直通特急」で使われています。山陽電鉄を含めても、平野部を走る平坦な路線ばかりです。一方、新たに直通する近鉄奈良線は大阪平野と奈良盆地の間にそびえる生駒山地を横断する山岳路線です。一見すると一般的な通勤電車にしか見えない車両が走っていますが、実は本格的な山岳鉄道並みの急勾配が連続する、厳しい条件の路線です。 相互乗り入れ運転を行う場合は、線路がつながってから試運転を行う事が多いのですが、阪神なんば線はまだ工事中でレールがつながっていません。ですから、わざわざトレーラーで電車を運んで、今回の試運転を行ったわけです。もちろん、阪神1000系は近鉄奈良線の厳しい条件に耐える性能で作られていますが、阪神の車両には経験のない厳しい条件の路線での運転になりますので、慎重な準備の一環として、今回の試運転になったようです。 長い勾配区間を走る電車には、自動車のエンジンブレーキのように下り坂を一定の速度で降りるための「抑速ブレーキ」という、モーターを利用した「ブレーキ装置」が装備されている事が多く、阪神1000系にも装備されています。今回の試運転は、東生駒と東花園の急勾配区間でのみ行われていることから、この抑速ブレーキの調整データを取得するための試運転と考えて間違いなさそうです。 あと1年も経たないうちに、この写真のような光景は日常的になるはずです。その影には、今回のような慎重な事前準備が行われていたことを、記憶にとどめておきたいですね。
【週刊ノリスケ】 今年は多彩なSL「やまぐち」号を運転
JRグループでは、地元の自治体などと共同で「デスティネーションキャンペーン」という観光キャンペーンを各地で行っています。いまは、6月末までの「山梨デスティネーションキャンペーン」が開催中です。そして、7月1日からは、対象を山口県に移し「山口デスティネーションキャンペーン(以下、山口DC)」が始まります。 この山口県で代表的な観光の対象に、山口線を走るSL「やまぐち」号があります。そこで山口DC期間に合わせ、JR西日本では、普段の姿とは異なるSL「やまぐち」号の運転を予定しています。 まずキャンペーンの初日7月1日には、通常のC57形蒸気機関車とレトロ調客車5両に代わって、C56形蒸気機関車と12系客車2両のSL「やまぐちDC」号を運転します。C56形はローカル線用の小型機関車ですから、短い列車の先頭に立つ姿もよく似合います。運転時刻は通常のSL「やまぐち」号と同じです。このSL「やまぐちDC」号は、さらに7月23日から8月末までのSL「やまぐち」号や後述のSL「やまぐちDX」号が運転されない日と9月の祝日でない月曜日と金曜日、キャンペーンの最終日である9月30日にも運転されます。 8月1日から3日までの3日間は、C57形とC56形の重連(機関車2両で列車を牽くことを重連といいます)で、欧風客車「サロンカーなにわ」の6両を牽くSL「やまぐちDX」号が運転されます。これまでも団体専用列車としてイベント用客車を使ったSL列車が走ったことはありますが、一般客も乗車できる列車として走るのは初めてのはずです。 さらにこれは例年のイベントですが、8月のSL「やまぐち」号は、C57形とC56形の重連で牽引され、さらに東海道本線の特急「つばめ」「はと」が電車特急となるまで使われたマイテ49形一等展望車を通常のレトロ調客車に増結します。 つまり今年の山口線では、上述の列車に加え、写真のC57形がレトロ調客車を引く通常のSL「やまぐち」号の4つのスタイルのSL列車を見たり、乗車する事ができるわけです。今年の夏に、山口旅行はいかがでしょう。津和野から特急「おき」に乗り継げば、世界遺産となった石見銀山や今年だけ御本殿の特別参拝ができる出雲大社にも足を伸ばせますよ。
【週刊ノリスケ】 道路を走る21世紀の坊っちゃん列車
坊ちゃん列車と言えば、伊予鉄道創設当時の列車の代名詞です。夏目漱石の小説『坊っちゃん』で、「乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。」と記されたことで、この呼び名が生まれたそうです。小型の蒸気機関車が小型の客車を引っ張るという列車でした。蒸気機関車は1954年にディーゼル機関車に交代して引退しましたが、客車は、ディーゼル機関車に牽引され、1967年の横河原線電化まで使われていました。ただ、最後まで残った客車は、創業時よりもやや大型の車両であったようです。 小説『坊っちゃん』は広く親しまれた小説ですので「坊っちゃん列車」の知名度も高く、本物が伊予鉄道の経営する遊園地「梅津寺パーク」に機関車と客車が保存されています。松山市駅に近い子規堂(俳人 正岡子規の旧居を復元し、資料等を展示)の広場にも客車が1両保存され、「坊っちゃん列車の客車」と説明されています。また、複製品も何台か作られ、なかには実際に走行可能な蒸気機関車もありました。 このように、観光客も誘致できる存在ですので、本家である伊予鉄道が復元新製した「坊っちゃん列車」が、路面電車である松山市内線で2001年10月13日から営業を開始しました。むろん、小説に登場した当時は、道路上の線路を走っていたわけではなく、軽便鉄道として建設された専用の線路の上を走っていました。復元にあたっては、観光客にも利用しやすく目にも触れやすい、JR松山駅や伊予鉄道松山市駅と道後温泉を結ぶ市内線を走ることになったわけです。 また、外観は蒸気機関車を忠実に再現していますが、動力源はディーゼルエンジンです。蒸気機関車の音を再現する装置が付けられ、発煙装置もありますので、雰囲気は十分に感じられます。機関車は1号機関車をモデルに復元されました。客車は、マッチ箱という形容に相応しい、超小型車ハ-1とハ-2の2両と、明治後期に製作されたやや大型のハ-31の1両が復元され、日によって使い分けられていました。翌2002年8月8日には、14号機関車を復元した2台目の機関車が登場し、2列車の同時運行が可能になっています。写真は、最初に登場した1号機関車とハ-1・ハ-2による列車です。夏目漱石が客車を「マッチ箱」と称した気持ちがわかりますね。 坊っちゃん列車が目当ての松山旅行も楽しいですよ。ただ、5月12日から7月15日までは、車両の定期点検のために減便されていますから、ご注意ください。
【週刊ノリスケ】 阪神電車に残る懐かしい昭和の光景
みなさんは楽しいゴールデンウィークを過ごされましたか? すっかり定着したこの呼び方ですが、そもそもは昭和20年代後半、祝日が集中する4月29日から5月5日の1週間に映画興行成績がよいことから、映画業界で「ゴールデンウィーク」と呼ぶようになったのが始まりだそうです。国民の祝日といえば、以前は、一般の家庭や商店でも日の丸を掲げて祝う習慣がありました。お歳を召した方の中には国民の祝日のことを「旗日」と呼ぶ方がいらっしゃるぐらい根付いた習慣でした。しかし、最近では、そのような光景を見る機会もめっきり減ったように思います。祝日の日の丸は、最近流行っている「懐かしい昭和の光景」になるのかもしれません。 実は、関西の私鉄でも比較的最近まで、祝日に車内に小さな日の丸を掲げる会社が多くありました。このため、隣の車両へ通じる貫通路の上に旗竿を挿す金具が付いている車両が多くありました。しかし、車両数が多いと日の丸の掲揚も大きな手間となりますので、合理化の一環でこの日の丸掲揚は大半の会社で止めてしまったようです。 しかし、阪神では今年も写真のように祝日には日の丸が掲揚されています。この写真を撮ったあと、気になって阪神以外の関西大手私鉄・・・阪急・近鉄・京阪・南海の4社をざっと見て回りました。私が確認した範囲では、日の丸掲揚がないどころか、多くの車両では旗竿を挿す金具も付いていませんでした。阪急は、確か1990年代の初めに日の丸掲揚廃止を発表して、鉄道部品販売のイベント時にミニ日の丸を売ってしまいましたので(実は、筆者も買いました)廃止されたことは知っていましたが、それ以外の会社はいつの間にか・・というのが正直な印象です。 昔懐かしい光景を見るために、阪神に乗るというのも楽しいですよ。
【週刊ノリスケ】 昔の色で走っています JR東日本の583系電車
タイトルにある「583系電車」の文字を目にしてニヤッとした人は、なかなかのレールファンですね。1967年に登場した581系寝台特急電車を一部改良して、1968年から量産されたのが583系寝台特急電車です。クリーム色の車体で窓回りを赤く塗ったのが、当時の国鉄での標準的な特急用電車の塗装だったのに対し、581/583系では窓回りを紺色に塗って登場しました。それ以前から走っていた特急用寝台客車は紺色に細いクリーム色の帯という塗装で、ブルートレインと呼ばれていましたので、寝台車をイメージするように同じ紺色を使ったと言われます。また最初、西日本地区に配置された581/583系は、主に新幹線接続特急に使われましたので、新幹線の塗装を念頭に置いたとも言われました。 由来はともかく、国鉄の電車ではこの系列にしかなかった独特の塗装であったのは間違いありません。この塗装に加え、寝台車特有の背の高い車体という特色ある外観で、レールファンに人気がある車両でした。JR化に際して583系は、JR東日本とJR西日本の2社に分かれて配属され、それぞれにリニューアルが行われました。塗装を全面的に改めたJR西日本に対し、JR東日本では国鉄時代の塗装のまま使われています。 寝台特急電車とはいえ、昼夜兼用として、昼行特急でも使うことを想定して開発されましたので、昼行の臨時列車に使われる事も多いです。寝台を解体すると通路の両側にボックスシートが並ぶ、プルマン式寝台と呼ばれる方式を採用していますので、ボックス席では特急らしくないと評されることもありました。しかし、かなりゆったりしたボックス席ですから、普通列車や急行用車両のボックス席のように狭くはありません。実際に座ってみると、見た目の印象と異なりなかなか快適です。座席の方向転換をして向かい合わせにした時よりも、ずっと楽ですから、家族旅行やグループ旅行に向いた車両といえそうです。 581/583系は、西日本では主に京都・新大阪・岡山から博多・熊本・西鹿児島への昼夜行の特急、東日本では東北本線の昼夜行の特急に使われました。特に1975年の山陽新幹線全通前、1982年の東北新幹線大宮~盛岡開通前までは、昼に夜にフル稼働状態でした。 JR西日本の583系は、急行「きたぐに」として毎日に走っているのに対し、JR東日本の583系は、団体列車や臨時列車用として秋田と仙台に6両ずつ配置されているのみです。国鉄時代の面影を濃く残すJR東日本583系ですが、走る日が限られ、団体列車も多いので、気軽には乗れません。そのなかで、仙台の583系は磐越西線の臨時列車を中心に、一般客用の列車に使われることが比較的多く、乗るにも見るにもねらい目です。 写真は、この3月下旬に磐越西線の快速「あいづライナー」で使われた時の583系です。今週の5月8日から5月16日まで、この快速「あいづライナー」は、通常使われる485系電車に代わり、再び583系で運転する予定になっています。 国鉄時代の583系に思い出がある人、思い出はなくても追体験されたい人には、気軽に体験するチャンスですよ。
【週刊ノリスケ】 京阪電鉄が伝統ある電車塗装の変更を発表
大阪と京都を結ぶ京阪電鉄では、大阪市内で中之島線を建設中です。同線は、現終点の淀屋橋より2駅手前の天満橋で分岐し、既存線と平行に西進して、淀屋橋のさらに西側に新設する中之島に至る新線です。本年10月19日に開業する事がすでに発表され、この開業を機に京阪グループのイメージチェンジを図ろうとする計画がいろいろと進行中です。 まずは、4月15日の中之島線開業日発表と同時に、新しいシンボルマークとスローガンが発表され、すでに使用が始まっています。さらに、新形車両3000系電車の登場と既存車両の塗装を一新する事も同時に発表されました。新形車は中之島線開業と同時のデビューだそうですが、新塗装の車両は5月から走り出すようです。 この写真にある、現在の黄色と赤色という鮮やかな特急用車両の塗装は、1951年に新製された特急用1700系電車で初登場したものです。以後、代々の特急用車両に受け継がれ、現在でも8000系電車などに塗られています。50年以上も前に登場した塗装を今も変えていない鉄道はかなり少数派です。新しい特急用塗装は黄色と赤色ながら塗り分けを変え、上部が赤色、下部が黄色となり、色の境界部には金帯が配されます。 新形車両の形式が3000系で、この写真の特急も3000系電車と気が付いた人は、なかなかの京阪通ですね。この写真の3000系は、リニューアルを受け1編成だけ残っているもので、今も後継車として登場した8000系電車と共に特急として走っています。新形3000系のデビューと引き換えに廃車されると言うことはなく、8000系に編入され、今後も活躍するそうです。 特急用以外の電車に使われている緑色の濃淡2色の塗装は、1957年に新製された1650形電車で登場しており、こちらも50年以上の伝統があります。新塗装では緑色の伝統を受け継いで、上部が濃緑色、下部が白色で、境界には黄緑色の帯となります。 新形の3000系は、上部が紺色、下部が白色、境界に銀帯という塗装で登場しますので、新しい京阪では3つのカラーパターンが共演することになります。2012年までに塗り替えを完了させる予定だそうですから、今の塗装が見られるのは長くてもあと4年半ほどのようです。
【週刊ノリスケ】 日本最高速のロープウェイ登場!
国内にゴンドラが登場した当時、一世を風靡した卵形のキャビンを使うゴンドラの数がめっきり減って、その一つである「びわ湖バレイゴンドラ」が間もなく引退するという話は、昨年11月4日の記事で紹介した通りです。 当初の予定よりやや遅れたようですが、びわ湖バレイでは、去る2月9日に従来のゴンドラに代わるロープウェイが開業しました。小型のキャビンが一定の間隔で次々と出発するゴンドラに対し、新しいロープウェイは大型のキャビン2台が交互に往復する「交走式」を採用しています。 この写真が新ロープウェイで、121人乗り(係員1名含む)という国内でも屈指の大型キャビンです。ロープウェイの本場であるスイスにある世界的なキャビンメーカー「CWA社」が製作しました。大きな窓からびわ湖を見下ろしながら、比良山地の稜線に広がるびわ湖バレイスキー場に登れます。写真は、青色をベースにした2号車で、もう1台の1号車は赤色ベースの外部塗色になっています。 このロープウェイの特徴は、大型であるだけではありません。最高速度が、国内のロープウェイでは最も速い秒速12m(時速43.2km)なのです。これまで国内で最も速いロープウェイは、香川県の雲辺寺ロープウェイ、新潟県の八海山ロープウェー、北海道の富良野ロープウェーの秒速10mでした。つまり一気に、2割もスピードアップし、ロープウェイ先進地のヨーロッパ並みになったわけです。ただし、常に秒速12mで運転しているわけではなく、お客さんが多くてピストン運行で乗客をさばく時だけのようです。 筆者の訪問時にも秒速7mで運転しており、残念ながら秒速12mを体験できませんでした。スキーシーズンに比べると、お客の少ない夏場には、最高速度体験の機会は少ないのかもしれません。それはさておき、これまでのゴンドラは、キャビンが小さい上に、ちょっとした風でもよく揺れましたから、人によっては怖いと思う人もいたようです。ロープウェイの大型キャビンなら、そのような不安を感じる人はまずいらっしゃらないでしょう。 スキー場として有名なびわ湖バレイですが、山頂から見た琵琶湖の風景は雄大で、この写真を撮った時にも、日帰りツアーのお客が数団体、来ていました。風景の展望の他には、主にファミリー客をターゲットにしたアウトドア系の遊び場を用意しています。ハイシーズンには、スキー用リフトの一部も動かし、リフトと遊歩道を使った山頂周遊もできます。ロープウェイ架替えを機会に、雪の無いびわ湖バレイで楽しんではどうでしょうか?
【週刊ノリスケ】 ローカル線終着駅に保存された転車台
蒸気機関車時代に欠かせなかった鉄道施設に転車台があります。転車台ではピンとこなくても、英語でのターンテーブルならわかる方もいらっしゃると思います。 自動車のように、前と後があるのが蒸気機関車の特徴で、その向きを転換するのが転車台の役目です。橋になった部分に機関車を乗せると、その橋が回転し、向きが変わるという仕組みです。単純な動作ですから、実物はご覧になった事がなくとも、この写真を見ていただければ、なんとなく仕組みがご理解いただけるのではないかと思います。 蒸気機関車には欠かせなくとも、ディーゼルカーや電車は、日常的な運転には車両の向きはさほど関係ありませんので、ローカル線の終点には不要な設備でした。また、蒸気機関車でもバック運転に考慮したタンク機関車などがありましたので、必ず終点にあったとは限りません。 この写真の転車台は、長良川鉄道終点の北濃駅構内で保存されているものです。当線は、1934年に国鉄越美南線としてこの北濃駅まで開通し、1986年に第3セクター長良川鉄道に引き継がれました。北濃まで開通した時に、1902年にアメリカから輸入し、それまで東海道本線岐阜駅で使われていた転車台を移設したもののようです。国鉄時代にあまり使われなくなっていたようですが、そのまま長良川鉄道に譲られました。現地の説明板によれば、長良川鉄道になってからもレールバス(ディーゼルカー)の方向転換に使われたことがあるようです。しかし、日常的な方向転換は不要ですし、筆者は第3セクターになった当時に何回か北濃駅を訪問してますが、転車台の周りは草が茂っていて、頻繁に使われている感じはしませんでしたので、さほど使うことはなかったのだと思われます。 いつの間にか、ローカル線の終点に人知れず草に埋もれる転車台になってしまいましたが、鉄道愛好家などの調査で、明治時代に輸入された貴重な鉄道遺産である事が判明しました。また、地元の鉄道を長年支えた貴重な遺産である事が地元で評価され、保存への機運が高まって、2005年には登録有形文化財となっています。 転車台には、電気や圧縮空気などを使う動力で回転する施設もありますが、ここは人力式で、黄色に塗られたバーを人が掴んで回します。 ホームから見学用の通路が設けられており、これとは別に駅南側の踏切脇から、転車台のすぐ近くまで自動車が入れるよう、道路や駐車スペースが整備されていますので、列車で来てもドライブのついでに立ち寄るにも便利です。機会があれば、ぜひ見学してください。
【週刊ノリスケ】 開業20周年を迎えた瀬戸大橋
JR発足の翌年である1988年4月10日に、当時3つのルートで建設を計画していた本州と四国を結ぶ道路・鉄道のトップをきって、児島坂出ルートが開通しました。本州側の下津井瀬戸大橋から四国側の南備讃瀬戸大橋まで、さまざまな形式の6つの橋が連なるのがこの児島坂出ルートで、その愛称が瀬戸大橋です。 橋は全て2階建てで、上が自動車専用道路、その下に鉄道が通っています。それぞれに「瀬戸中央自動車道」「本四備讃線」という正式名称がありますが、どちらも瀬戸大橋という名前の方がよく知られています。道路も鉄道も同時に開通しました。 本州に接する下津井瀬戸大橋、四国に接する南備讃瀬戸大橋が共につり橋なので、瀬戸大橋=つり橋というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この写真のように斜張橋とトラス橋もあります。左側にある二連の斜張橋が櫃石島(ひついしじま)橋と岩黒島(いわくろじま)橋、右側のトラス橋が与島(よしま)橋になります。 鉄道で渡ると、道路下のトラス桁の中を通過しますので、橋の形式の違いをあまり意識しませんが、バスや車で道路を通ると、その構造の違いを目の当たりにできます。これだけの距離の海上を延々と渡るというのは、20年経った今でも新鮮な光景です。 ところで、在来線が敷設されている鉄道部分は、実はさらに新幹線の複線も敷設できる設計になっていることをご存じですか? 本来は東側に在来線の複線、西側に新幹線の複線を敷設する設計ですが、在来線だけの敷設ではバランスが悪いですから、本来は新幹線用に用意されたスペースに本四備讃線の上り線を敷設して、暫定的にバランスがよくなるように使われています。快速「マリンライナー」下り列車のグリーン車先頭部のように、前方の見晴らしがよい列車に乗ると、左右で鉄道用のスペースが微妙に違うことがわかり、四国にも新幹線を通す準備が行われたことが実感できます。 実は『駅すぱあと』2007年12月版の付録「鉄道日めくりカレンダー2008」に収録している、月替わりの壁紙の10月分が、南備讃瀬戸大橋を渡る快速「マリンライナー」のシルエットです。こちらをお持ちの方は、合わせて見ていただけると嬉しいです。
【週刊ノリスケ】 曲がるのが苦手なスキーリフトを曲げてみたら・・・
すっかり春めいてきて、ウィンタースポーツのシーズンも終わりが近づいてきましたね。ウィンタースポーツといえば、スキーやスノーボードなどのスノースポーツを思い浮かべる人も多いでしょう。 これらのスポーツと縁深い乗り物といえば、リフトやゴンドラなどのロープによって支えられた空中を進む乗り物・・・専門的には「索道」と呼ばれる交通機関ですね。索道は、法的には、広義の鉄道として扱われています。 ロープにぶら下げるわけですから、索道のロープはピンと張らないとなりません。ピンと張ると、当然のことながら直線になり、途中で曲がったりはしません。曲げたい位置で、ロープにかかる横向きの力を支える特殊な支柱があれば、ロープを曲げることは出来ますが、ロープだけを曲げても意味ありません。 リフトならチェア、ゴンドラならキャビンが、曲がった地点を通過する必要があります。チェアやキャビンは、通常の支柱を通過するのに支障がないように、ロープを外側から掴むようになっています。右に曲げる場合、左側の線路は内側に支えが必要ですが、これはそれ程の問題ではありません。しかし、右側の線路では外側からロープを支える必要があります。これでは、ロープを掴む装置(握索装置)が邪魔になります。 ゴンドラの場合は、停留場内でキャビンはロープから離れて、レールの上を進みますので、曲げたい場所に停留場を作ってやれば、ロープだけ曲げれば済み、キャビンをどう曲げるかを考える必要はなくなります。実際、野沢温泉スキー場や栂池高原スキー場には、中間停留場で曲がっているゴンドラがあります。 困るのが通常のチェアリフトです。何らかの事情で、途中で曲がった路線にしたい場合もあり、1970年代に各リフトメーカーが研究を進めました。その一つが、この写真の旭川嵐山市民スキー場のリフトです。 このスキー場は、山頂から見て「く」の字型のゲレンデになっています。通常ならゲレンデから離れても、一直線にリフトを架けるわけですが、ここは「く」の字の内側にジャンプ台があり、そこを通過するわけにはいきません。その結果、この安全索道製の屈曲リフトが採用されました。このリフトは、外側に曲がる部分(写真右側)の水平滑車に工夫がしてあり、滑車の外縁部がキーボードのキーのように上下できる構造になっています。そして握索装置が通過するときは、上に逃げるわけです。 曲がることが大の苦手なリフトを、ここまで苦労して曲げても、この屈曲部分のメンテナンスに手間がかかり、ランニングコストアップの要因でした。さらに、屈曲部分を通過する際には遠心力でチェアが傾くので、リフトの速度を上げたり、ペアリフトにする事も難しく、次第に時代の要請に応えられなくなりました。結局、屈曲リフトは、あまり普及することなく新規に建設されなくなり、実現した路線も次第に廃止されました。 実は、この旭川嵐山市民スキー場のリフトが、国内最後の本格的な屈曲リフトでした。しかし、スキー場が2006年に閉鎖されたため、今ではリフトも廃止されています。国内で屈曲リフトに乗ることは、もうできないのかもしれません。
【週刊ノリスケ】 新世代の津軽海峡横断フェリー
青森と函館を隔てる津軽海峡を横断する航路と言えば、国鉄が運航していた青函連絡船を思い浮かべる人は少なくないでしょう。ご存知のように、JR発足の翌年である1988年3月13日に青函トンネルが開通し、青函連絡船は廃止されてしまいました。つまり今年は、青函連絡船廃止20周年という事になります。 青函連絡船は、旅客と貨車の輸送が主な使命でしたから、津軽海峡を渡るトラックなどの輸送は、その時代からカーフェリーが主役でした。これは青函トンネルの開業後も変わらず、自動車なしでの利用もできる東日本フェリーと自動車なしでの利用はできない3社の計4社が、競うように青森~函館航路を運航しています。このうち、自動車なしでの利用ができない3社の内2社は、青函フェリーという名称で共同運航をしていますので、実質的には東日本フェリー・道南自動車フェリー・青函フェリーの3航路競合となっています。 政府の規制緩和を受け、道南自動車フェリー・青函フェリーは2000年に旅客輸送の許可を得て自動車なしでの乗船も可能になりました。自動車がないと利用できなかった時代は、実質的にはトラック専用に近かったため旅客設備は簡素で、これは今も変わっていません。その代わり、東日本フェリーよりも若干安い運賃になっています。 青函連絡船に代わって、津軽海峡横断航路の主役になったのが、東日本フェリーです。青函トンネルブームで青森・函館を訪問する観光客が増え、JRの津軽海峡線利用者が急増した事に対抗して、超高速船のジェットフォイル(航空機メーカーのボーイング社が開発した水中翼船)「ゆにこん」を1990年に導入するなど旅客輸送に力を入れました。この「ゆにこん」は、青函トンネルブームの終焉と共に、冬季の欠航率の高さと車が積めないという問題点がクローズアップされ1996年に引退します。翌1997年には、2代目「ゆにこん」が代わりに就航しました。こちらは三菱重工が開発した超高速カーフェリーでした。カーフェリーですが、重量があるトラックは搭載が不可能で、乗用車・バスのみしか載せず旅客専用船として使われていました。やはり冬季の欠航率が高く、2000年秋、冬季休航に入ったまま再開する事なく、早くも引退してしまいました。 この2回の超高速船運航実績を踏まえて、昨年9月に登場したのが、超高速フェリー「ナッチャンRera」です。世界的な超高速フェリーブームの先鞭となったウェーブピアサータイプ(双胴式で浮力を水面下の船体で負担)を開発したオーストラリアのインキャット社で建造した船で、このタイプでは世界最大です。さらにトラック搭載にも対応、短時間で車の乗降が可能なように、車両積込み口の幅が広く、複数の車が同時に乗降が可能になっています。これを活用すれば短時間での折返しが可能になるはずです。 青函連絡船廃止後20年目にして登場した、まさに新世代のフェリーです。 青函連絡船では3時間50分かかっていた青森~函館を、現在の冬季ダイヤでは2時間15分、4月1日からの通常ダイヤでは2時間で結びます。比較的短時間の航海ですが、カフェも備え、写真のようにエコノミクラスの窓際はフリースペースとされ、ソファーやテーブルと椅子が配置され、海を見ながら快適に過ごすことができます。これは、トンネルが大半の列車にはない魅力ですね。青森・函館共にフェリーターミナルは駅から少し離れていますが、路線バスがありますので、車なしの乗船でも大きな不便はありません。 先日、低気圧が接近中の荒れている中で乗船しましたが、波の高さの割には揺れが少なく、船の優秀性を感じました。 今年の5月2日には、同タイプ2隻目の「ナッチャンWorld」がデビューする予定です。これにより増便が実現し、より利用しやすいダイヤになるそうです。
【週刊ノリスケ】 乗り遅れにご用心! 今週からの東海道・山陽新幹線
このダイヤ改正の中でも東海道・山陽新幹線のダイヤ改正は、多くの人に影響がありそうです。両新幹線の今ダイヤ改正での目玉は、全列車が品川・新横浜に停まるようになった事と、東京~博多の「のぞみ」で、この写真の最新鋭車両N700系が必ず毎時1本走るようになった事でしょう。 これらを実現するために、両新幹線では基本的なダイヤパターンが変更されたので、これまでのつもりでギリギリに駅に行くと、乗り遅れることがあるかもしれません。両新幹線に乗りなれた人ほど、しばらくは注意が必要ですね。 東京駅の下り列車を例にすると、これまでの基本パターンは以下の通りでした。 一方、昨日のダイヤ改正後の基本パターンは、以下になりました。 どちらの基本パターンでも、「臨時」となっている列車は、時間帯によっては定期列車だったり、基本パターンの終点よりも手前で終着の場合もあります。 さらに、これまで米原駅に停まる「ひかり」は岡山行きでしたが、それが新大阪行きとなり、その一方、静岡駅に停まる「ひかり」が新大阪行きから岡山行きに変わりました。「のぞみ」も基本パターンでの博多行き最速列車は50分発から10分発に変わっています。 「ひかり」や一部の「のぞみ」「こだま」は、出発時刻が3分早くなっていますので、停車駅パターンの変更とともに気をつけたいですね。 ダイヤ改正といえば、昨年12月16日の週刊ノリスケで、東京駅で500系新幹線電車が見られなくなるかもしれないと書きましたが、ダイヤ改正後も「のぞみ9・29・6・50号」で東京~博多を2往復します。したがって、しばらくは東海道新幹線内でも見ることが出来ます。ただし、使われる列車は、福山などにも停車する「のぞみ」で、最速パターンの列車ではありません。最速列車で使われなくなった事で、いつまで500系が使われるか予断を許しません。
【週刊ノリスケ】 半世紀の時を経て、いよいよ開業! おおさか東線
来週末の15日(土)に実施されるJRのダイヤ改正時に、JR西日本で「おおさか東線」が開業します。おおさか東線とは、関西本線久宝寺駅と東海道本線新大阪駅を結ぶ新線です。ただし、今回開業するのは、久宝寺から片町線(学研都市線)の放出駅までの南半分です。開業を前にして、写真のように、試運転が行われています。 線名の「おおさか東線」は、昨年8月23日に発表されたもので、以前は「大阪外環状線」と呼ばれていました。新線と言っても、以前からあった貨物専用の城東貨物線に旅客電車を走らせる計画ですから、新たに建設したわけではありません。城東貨物線は、今の大阪環状線東半分を旅客専用化するため、昭和初期に新設された貨物線です。将来に備え、単線ながら用地は複線分あり、一部の鉄橋は複線用で建設されました。これを活用して複線電化し、中間駅を新設して旅客化したわけです。 この城東貨物線旅客化計画は非常に古くからあり、表立った動きだけ見ても、「城東貨物線客車運行促進協議会」が1952年12月に結成された時点までさかのぼることができます。1963年には、都市交通審議会答申で「建設すべき路線」とされました。これに応えて国鉄でも一部で準備をすすめましたが、国鉄の財政事情悪化などにより、ほとんど手付かずのままJR化を迎えました。 JRとなってから、旅客化に必要な工事を第3セクターが行い、運行をJR西日本が行うという上下分離方式での整備が決まりました。この方式は、JR東西線と同じです。 このような経緯をたどり、旅客化の運動が表面化してからほぼ55年ぶりに一部開業となったわけです。 最近の新線らしく、乗換に便利なよう久宝寺も放出もなるべく階段を使わずに乗換できる構造になっています。また、意外な感じがしますが、これまでの天王寺経由で大阪に向うのに比べ、距離が短縮されます。久宝寺から京橋駅までの距離は、従来の最短距離である天王寺・鶴橋経由では13.6キロですが、おおさか東線経由だと12.4キロで1.2キロの短縮になります。 たった1.2キロですが、ご承知の様に、東京や大阪近郊のように路線が多く、複数の経路が多いエリアでは、実際の乗車経路に関わらず、最短距離で運賃を計算するというルールがありますので、運賃の区切りの関係で、ギリギリで一つ高い区切りに入っていた区間では、1.2キロの短縮でも安くなる場合があります。 例として、山陽本線明石から関西本線奈良までを計算してみましょう。これまで、この区間の最短経路は、大阪から鶴橋経由で天王寺に出て、天王寺から関西本線を使う100.7キロでした。運賃計算時、小数点以下は切り上げですから、この区間の運賃は101~120キロの区切りが適用され1790円です。3月15日からの最短経路は、大阪から京橋・放出を通っておおさか東線に入り、久宝寺から関西本線で向うルートとなり、99.5キロです。適用されるのは91~100キロの区切りで、1530円となります。なんと260円の値下げです! 値下げとなるのは、このように微妙な距離にある場合ですから、恩恵を受けるケースはそれほどは多くないですが、値下げって嬉しい話ですよね。 最後になりましたが、皆様に御礼です。おかげさまでこの週刊ノリスケは、昨年4月1日に掲載を初めてから、今回で50回目になりました。これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。
【週刊ノリスケ】 国鉄特急の面影を色濃く残す特急「雷鳥」
特急「雷鳥」といえば、大阪と金沢を結ぶ北陸本線の特急です。東海道新幹線に遅れること3ヶ月弱の1964年12月25日に、大阪と富山を結ぶ特急として誕生しました。同時に登場した名古屋と富山を結ぶ特急「しらさぎ」と共に、直流電化区間と交流電化区間の直通運転に対応する新形特急電車481系の開発完了を待っての運転開始でした。 この当時、国鉄は地方幹線の電化を、交流方式を主力として急速に進めていました。この481系は、西日本の60Hz交流電化に対応する形式で、東日本の50Hz交流電化に対応する形式である483系が翌年に登場しています。この両形式によって、次々と電車特急が登場しました。そして、1968年には特急用電車の決定版として、50/60Hzの双方に対応する485系が登場しました。この3形式は、運転用機器の違いで形式は分けられていましたが、車内インテリアなど乗客サービスの水準やクリーム色と赤色のツートンカラーの外観などはほぼ同一でした。 1970年代までの特急は、文字通り「特別な急行」で、ほとんどの列車にグリーン車が連結され、食堂車付きも多く、長い編成(ほぼ9両編成以上)で運転されていました。それだけに、1975年3月ダイヤ改正で米原~金沢・富山に新設された特急「加越」は、7両編成で食堂車なしだったために“ミニ特急”などと揶揄される事もありました。 国鉄がJRとなって間もなく21周年です。国鉄末期から身近な存在になっていった特急は、今ではすっかり生活に溶け込み、長い編成で1日に数本が走るより、短い編成でも数多く走ることが好まれるようになりました。JRとなってから登場した新形特急電車を使う列車もかなり増えています。485系はJR東日本/西日本/九州の3社に継承され、東北・関東・北陸・九州など全国各地で活躍していますが、時代に合わせ、3両編成という短い編成も登場しました。また、イメージチェンジのためにリニューアルされ、国鉄時代と同じ塗色で残っている車両も少なくなりました。 このような状況の中で「雷鳥」は、運転開始時の481系電車と同系列の485系電車で運転され続けています。食堂車こそ連結されていませんが、9両 |